明治時代の行灯
浦町の堀部友次さんの先々代の堀部重太郎氏撮影
福野町 時の会によって 祭り当日に展示されたものです
      
   左上より、 凱旋門(上町?)、    神宮、    馬に御幣(上町?)、 
 白黒写真の行燈の名称は 「福野町広報2001年6月号」記事より抜粋
  「凱旋門」は、上町裁許記録(写)に、 「明治40年、表上町の行灯の山車は日露戦役平和を祝
 するため凱旋門を造り下方弐間高さ3半メートル 総長7半メートル〜」とある。 
 ※ 明治29年丈は2丈4尺(7m92p)以下としたが励行されず〜
  You Tube、livedoor PICSより  のlivedoor PICSに他の画像掲載
     
  上の3点は 「堀部発行」 絵ハガキより
  四十八歌仙(浦町?)、 富士に鷹(横町?、後ろに 日の出, 灯籠?)、 
  右は、 中浦町行灯  連額9枚張り高さ三十三尺 
  明治二十五年撮影  富岡四平宅前 (町広報より) 
  「四十八歌仙」は、上町裁許記録の明治36年に 「浦町四十八歌仙〜」とあることから。

 町名推測の方法として、 
@  「上町」について、 「凱旋門」は上町裁許記録に自町としての記載が有り、「梅ヶ谷」の吊物が
「凱旋門」と同一、 「馬に御幣」の背後に「梅ヶ谷」が見えることから。 (梅ヶ谷、明治36年に横綱
になる)
A  「横町」について、絵はがきの「富士に鷹?」は、連額に横町と読み取れ、神明社参道入口の
灯籠が見える。 その背後に「日の出に鶴」らしき行燈と、「灯籠」らしき行燈が見え、灯籠の背後の
屋敷、森は田中邸か?。
B  「浦町」について、 「四十八歌仙」は、上町裁許記録に「浦町四十八歌仙〜」と、右絵はがき 
は町報の「夜高行燈の今昔」に、「明治25年撮 中浦町行燈〜」とあること。

  行燈の経費は、町内全戸より集めているが、 以前は地主、商店資産家等旦那衆(あんどん  
  昔語り参照)が多くを出しておりその家や、町内世話役の前に行燈を立てたので、背後の    
   建物が参考になる。    
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