越中福野  夜 高 祭 年 表  
   (あんどん=行燈=献燈=燈鉾=敬神燈  文献にはこれらの表記がされている) 
  参考文献 福野町「時の会 越中福野 夜高まつり年表」、福野町史(通史、写真統計)
   新 ・ 旧、福野歴年誌、 福野誌料(御神燈関係抄録)抜、上町裁許記録
   広報ふくの6月号 2001年、 船鉾(平成15年 野原氏) (色文字)は追記

慶安 3年(1650)
  1月22日、 町立ての許可がおりる。
慶安 5年(1652) 
 2月、 福野新村大火、 76戸全戸消失。
 4月、 福野神明宮、 伊勢から御分霊勧請の帰途、 倶利伽羅峠付近で日が暮れ、氏子達が手に手
にあんどんを持って出迎えた。 これが 「夜高あんどん」の起こりとされる。

承応3年(1654) 
 この年、 春祭りとして始まった行燈行事が、 「夜高祭」 始まりとされる。
文久2年(1862) 
 福野神明宮神輿渡御巡幸の大傘鉾(参考図)を模装し、 横町、 新町、 下(浦?)町に16枚張りの田
楽で、高さ4丈の大行燈をだす。
 幕末期に、 あんどんはどんどん高くなり、 町屋の屋根を超えて暗闇にあんどんがゆきかったとい
う。 その様子が近郊からも見ることができ、 「夜高あんどん」といわれたという説もある。

明治 9年(1874) 
 子供燈鉾およそ百燈神前に供奉し、 町内持ち回り帰町。
明治12年(1880)
  コレラ発生し、行燈が出ない。
明治20年(1887)
  5月1日、上町7基、 新町5基、 浦町7基、 横町8基の計27基の行燈がかつがれる。
明治26年(1893)
  電線が張られたため行燈の高さが7メートル57センチに制限される(実行されず)。
明治30年(1897)
  北陸線及び中越鉄道(城端線)一部開通
明治42年(1909)
  8月末、警察より電話線架設により、行燈の高さ制限、励行の厳達があった。
大正 4年(1915)
  5月1日 浦町と新町が西方寺前で大喧嘩となる。
昭和 13年(1938)
  昭和12年に日華事変勃発  子供行燈のみ。
昭和14年(1939)
  夜高行燈取り止めで行燈が1基も出なかった、全部が遠慮した。
昭和15年(1940)
  皇紀2600年の年、生活必要物資の切符制実施。子供行燈だけを昼間に出し、午後二時に神明
社にお参りした。

昭和16年(1941)
  灯火管制のため子供行燈を昼間に出す。
昭和17年〜20年
  戦時体制の下 戦没者の遺族を思い、祭礼行事は自粛となる。
昭和21年(1946)
  終戦後、物資不足のなか北国染工から染料を調達して行燈が出された。上町は、戦後初めて中
行燈で 山車 菊水制作する。

昭和22年(1947)
  上町では、戦後初めて高御座大行燈と幼児行燈を出す。
昭和24年(1949)
  開町300年祭を機に夜高行燈優美投票が始まる、 御蔵町が1等賞獲得する。
昭和25年(1950)
  七津屋大行燈台新調(文久の大行燈の台として使われている)
昭和26年(1951)
  5月2日深更、上町(林 智雄宅前付近)において、七ツ屋と横町の行燈が、行き違い競い合いの
時、即死1名重傷1名軽傷1名を出す。(取り調べ等夜が開ける?)

昭和27年(1952)
  9月9日、 福野神明宮御遷宮三百年祭の折、 上町、 浦町屋台、 町中練り廻る。
昭和28年(1953)
  夜高行燈優美投票に御蔵町が5年間連続一等賞を獲得。(次年度は審査外)
昭和31年(1956)
  5月1日、 夜高保存会、 行燈撮影コンクールを行う。
昭和32年(1957)
  5月3日午前1時、 四ツ角で辰巳町(龍宮)が七津屋とせり合い倒伏破毀された。
昭和33年(1958)
  8月 上町通り6.5メートル拡張舗装が完成し、祝賀祭が挙行される。
昭和34年(1959)
  5月2日午後、夜高行燈四ツ角付近に集め、天然色(カラー)観光映画撮影する。
昭和35年(1960)
  5月1日、内山氏が神明社前に戦前の七津屋16枚張り行燈田楽を献灯する。
昭和45年(1970)
  5月、長岡一忠氏が『福野の夜高まつり雑考』を出版する。
昭和48年(1973)
  10月、夜高行燈が東京の銀座祭に出演。 4町各1基ずつ参加し町民250人により練り廻され
る。
(横町、大行灯台棒、横棒、芯棒新調?、町内披露?、福野町氏子の写真、10月 新町大行燈台
製作

昭和56年(1981)
  6月、富山市山王祭に 新町・浦町大行燈参加
昭和57年(1982)
  浦町大行燈台 四月吉日完成 実行委員長 吉井惣一
昭和58年(1983)  1日夜雨、大曳山祭のためビニールを付ける行灯有り(この年だけの異例なこ と、
福野はビニールを付けて練り廻し、宮参りすることはない)、大行灯も異例の宮参りのみ、あと、自町は
各判断練り廻し。2日夜は、横町が前川さん前まで進み辰巳町は後ろに付くが、浦町は二日のコー
スにない西上町を回る。(福野町から全町内が祝儀を頂くが、町長宅前を1日に回れなかったため
か?)
 富山県置県100年記念大曳山祭に 七津屋 ・ 横町大行灯参加、3日夜は最終に練り廻し、5日夜
は福野で出来なかった鬱憤晴らすべく激しいケンカ行う、時間オーバー構わずシャンシャンをその場
で行い「魚津たてもん」を待たせる。(横町、大行燈台と横棒新調 四月)

昭和61年(1986)
  NHK「北陸東海」で夜高祭が30分番組で紹介される。 上町大行燈台新調
昭和63年(1988)
  富山市のますの寿司製造「源」観光用レストハウスに新町の神輿行燈が常設展示」
平成元年(1989)
  上町 ・ 浦町大行燈が名古屋市市制100年祭に参加
平成2年(1990)
  姉妹都市の香川県多度津町町制度100年記念に、辰巳町・七津屋大行灯参加」。
  五月壹日 七津屋大行燈台製作 世話方 七津屋地区会館建設委員会
平成3年(1991)
  3月にオープンした福野文化創造センターに横町行燈(唐獅子・展示用)が1基常設展示される
平成4年(1992)
  7月、JET福野の日に上町・浦町の大行燈参加 (ケンカ行う)
平成8年(1996)
  神戸祭りに文化創造センターの展示用大行燈、 横町を中心として参加
  京都祭りに横町 ・ 浦町の行燈参加
平成12年(2000)
  文久大行燈作製、上町山蔵前に展示。 さらに、秋、国体期間中(富山県会場2000年国体)にシ
ョッピングセンター・ア・ミュー向かいに展示。
平成13年(2001)
  横町、大行灯横棒新調
平成14年(2002)
  3月23日夜高祭350周年を記念、裁許会、町内有志が伊勢神宮へ崇敬参拝。
  神楽殿で七町内大行燈田楽、裁許提灯、拍子木が御祓いを受ける。
  大鳥居前に文久の大行燈を早朝から飾り夜10時まで点灯する。
  文久の大行燈、猿ヶ辻公園に展示。
  11月「いきいき富山伝統芸能フェスタ」において浦町大行燈が富山市に展示。
平成15年(2003)
  4月21日 福野夜高祭350年記念誌「万燈」発刊される。
  上町大行燈が「鳳凰台」に変更される。
平成16年(2004)
 1日、2日とも晴天。 文久の大行燈は福野駅前に展示。
平成17年(2005)
 1日夕方まで小雨、天候不良、大行灯のみ宮参りのあと各町判断。当番町の横町は裁許会におい
て、四町ごとに神明社への宮参りのため横町j通りを出入りする大行灯の進行を考慮し、宮の入り口
より西側に止めることを提案、了承される。 2日は晴天。
  文久の大行燈、前夜祭に練り回し。

平成18年(2006)
 1日小雨、7時ころ回復し宮参りのみ、各町判断、大行灯もビニールを外すが、先例の無い強い雨、
雷雨、一時停電となり街灯の消えた町に行燈だけが灯り、拍手が上がる。2日は晴天。

平成19年(2007)
 1日早朝は晴れ、順調に行燈が立てられたが、日中に一時小雨、ビニールの隙間からはいった雨
に紅の流れた部分も見られた。夜は1日、2日とも晴天。3日も晴れる。

平成20年(2008)
 一週間前から、週間天気予報は4月29日〜5月1日(木)、2日(金)〜3日の間、晴れ、一時曇り、最
高気温25度との予報。
 28日から3日まで、雨の心配のない好天に恵まれる。1日深夜、上り行燈が動いたのは11時20
分、2日は11時25分頃。
文久の大行燈、11月9〜11日、全国菊花大会会場の福野体育館前に展示。

平成21年(2009年) 5月1日(金)、2日(土)、日没は6時40分ころ。
 4月27日頃より晴天が続き、両日とも日中から雨の心配なし。上町大行燈は高御座(たかみくら)の
復活。警察の強い要請など、早い時間からの運行を行う、小行燈は6時半、大行燈は7時ころ出発、
御蔵町、上町、七津屋、辰巳町、浦町、新町、横町の順、町内においては夕方に自町の一部を廻
る、行燈配置場所に集合し、銀行の四つ角まで出てくる時間を要するなどの課題もあっただろうが「6
0年行燈見ているが、こんな早いことはない」と年配者の話し。すり替えは10時45分ころ。
 二日目、最初の大行燈は7時ころ出発、8時40分過ぎ〜9時には横町通りから上町、七津屋、辰巳
町、浦町が続いて出てくる。2日目2番出発の新町は9時過ぎには第一銀行の前に付ける、あとは御
蔵町を廻るのみ。10時55分にすり替え開始。シャンシャンは見ていないが、0時55分とのこと。
  11月11日 富山市駅北で、全国商工会青年部大会が開催され、福野(文久の大行燈)、庄川、津
沢、砺波(出町)の行燈が屋外展示される。福野の製作には南砺市商工会青年部が中心となり、福野
町部の行燈を出す町以外の商工会会員、城端商工会会員も協力する。 前日から組み立てながらも
雨天・強風、当日の展示は傷みがあったが点灯、約3,000人の参加者に披露する。

平成22年(2010年) 5月1日(土)、2日(日)、1日の日没は18時40分ころ、月の出21時46分。
 天気晴れ、前日30日の前夜祭(祭礼神事とは異なり、地域活性化・参加の場の面もあり、合唱、民
謡保存会、ヨサコイグループの出演参加や、太鼓には祭当日とは異なる地域・子供達も参加、従来
の夜高祭の町内を越えての参加を企画したもの〜(個人的な感想です)の文久の大行燈には、台が
大きくなり新調され、山車は風神となる。
  1日の運行は、先頭の大行燈が横町通りに7時5分に入り、最後の大行燈が横町通りから銀行四つ
角に戻るのは9時10分、すり替えは11時20分。
  2日は、先頭が横町通りに7時に入り、最後が銀行四つ角に戻るのは8時52分、上町を先頭に並ぶ
のは9時50分、すり替えは11時。なお、1日、2日で練り回し経路、順番が変わり、通りの幅が狭いこと
から大行燈のすれ違い場所が決められていることなど、年によって進行時間は変動します。

 平成23年(2011年)5月1日(日)、初日は雨が降り不安定な天気、日中は風も強くビニールが風に
あおられる。天候が不安定なため大行燈のみ2日目のコースを回る。4つの町内はビニールを被せて
周り始め、途中外す町内もある。 2日は天候に恵まれる。


平成25年(2013年)
5月1日(水)天候は不安定、雨の心配があり、多くの人が「例年にない寒さ」と言う。
上り行燈側の先頭、上町がすり替えをしたのは11時8分ころ。

5月2日(木)今日も寒いが、雨の心配はなし。
 スムーズな進行で、当番裁許の横町は下り行燈の先頭で、銀行側に到着、道路脇に寄せたのは9
時半、辰巳町が帆の向きを変えたのは10時18分ころ。
 上り行燈の先頭、新町が動いたのは11時8分ころ。続いて上町、七津屋。
 普通は上り行燈が通り過ぎると同時に下り行燈が前に出るが動かない、暫くして横町が銀行四つ
角まで進んだが、辰巳町、浦町は出ない。救急車が入ってきたので進入路確保のため、横町が進ん
だようである。この事故は地元北日本新聞に「行燈から転落〜砺波市民病院へ」と掲載、名前の掲
載は無く、翌日4日は「脇腹〜軽傷〜」掲載された。


平成26年(2014年)
5月1日(木),午後1時頃ときおり小雨が降っていた(傘が必要な状況)が、4時頃には時折の小雨
は止む,傘の心配のない状況。
 横町の小行燈8時5分過ぎ,参道入り口で待ち,浦町が出てから宮参り,その後上町,七津屋が入
る。七津屋が出たのは8時35分ころ。
 辰巳町が横町通りから銀行四つ角へ戻ったのは9時53分ころ,御蔵町が少し遅れているのか,上
町通りに横町,辰巳町,浦町が並んでから御蔵町は横を通りすぎ,10時25分ころ上町に着く。
 2日目、新町が浦町通りから銀行四つ角へ出てきたときに前の吊りものを破損している、新町の方
に聞いたところ「辰巳町に蹴られた」とのこと。横町通りでのすり替え(富山県信用組合前)のときか。
 横町の進行が早く,上町通りの南側に出てきて辰巳町,浦町とすり替える、例年は七津屋シィード
ビル前ですり替えることが多い。その後? 辰巳町,浦町の進み方は遅く,上町通り新町との四つ角
を越え銀行側,定位置に着いたのは11時10分前? 帆の向きを変え態勢整えた11時23分の撮
影あり。
並び方,上町,七津屋,新町。対して横町,辰巳町,浦町,御蔵町,御蔵町も栄光社前で銀行側に入
る。
引き合いは上町0時開始,七津屋は0時10分,その後上町,七津屋は新町へ入り,進行方向が空
き新町は0時40分に出る。
引き合い後、下り行燈が進み、先頭の横町は銀行四つ角で頭を少し横町通りへ向けて止まり,辰巳
町,浦町が御蔵町通りから出てくるのを待つ,御蔵町が自町へ入ったのは1時12分。

 今回,上町通りで引き合いを待つあいだ,周囲の方々から「いつ始まるのか」と聞かれ「例年,昨年
は11時,だが今年は遅れるのでは・・辰巳町がまだ出てきていない(場所に着いていない」と言うこ
とを何度も話した,11時を回り・・「遅いですね」お互い「(10時ころから)1時間以上待ちですね,10
年程前は12時過ぎ,12時半ころでしたから」など話すが,そのころは11時頃になってから上町通り
で観客は場所で待っていた。
  
 3日,車山山は10時に銀行四つ角で出発式,久しぶりに上町・七津屋の庵屋台が練り廻し,曳山
の先頭に着く計画だったが,収蔵庫から銀行四つ角に向かうときに突風により屋根を破損,庵屋台
披露は中止となる。(北日本新聞にも紹介)
 出発式のあと横町通りへ進んでいたころに急に雨、風が吹き始め,車山山の宮参りなどは中止とな
る。
新町さんは町内でビニールをかけて待機し,町内披露,町内練り廻しをしたようだ。祝儀御礼の貼り
紙があった。

 
平成27年(2015年) 
 30日、夜高祭前夜祭に上町大行燈、小行燈が駅前通りの収納庫で点灯される。大行燈の高御座
の上には「フランス・リョン遠征」の時に飾られた鳳凰を付ける、これは元々小行燈山車で「火炎太鼓
の上に鳳凰」の鳳凰、祭当日の練り回しには取り外している。

5月1日(金)天候の心配なし。
 横町、大行燈が5時50分過ぎに神明社参道の入り口で宮参り、神主さんに来ていただく。横町は
台締め後に大〜小行燈の台を鳥居前まで運び宮参り、縄に酒をかけ、水をかけて締める。祭当日に
は他の町を回り終わり、自町、横町に帰り神明社へ参拝している。
 小行燈、辰巳町の「龍宮」、昨年東北の南相馬市への激励に参加し作り替えたようだ、昭和37年
ころまで辰巳町の大行燈に龍宮があった。
 5月1日、最初の出発、小行燈は横町、6時33分ころ。 
初日すり替え、11時30分頃から、上町、七津屋、新町の順。

2日(土)晴れ、天候の心配なし。
 新町は横町通りを速やかに進み、8時には沢崎茶舗横の空き地に戻っていた。(他の行燈も「走っ
ていた」との横町通りの人の声あり)
 上町、七津屋が参道に入るころには新町は内山呉服店のあたりまで出て来る、上町及び七津屋の
参拝が終了し向きを変え始めると新町は進む態勢のようだが、ここで横町小行燈が帰ってくる、参道
手前に8時20分ころ着。
参道入り口にいた年寄りからは「小行燈でも宮参り前、上り行燈だからな〜」、横町通りには新町の
後に御蔵町、辰巳町、浦町と4本の大行燈が連なる。「いつもは後の(横町通り)富山県信用組合前
で大行燈が待っている(ここまで4本並ぶことはない)」「当番おらんないか、参道入り口に控えとらん
なんがや」の声。
8時35分頃、上町、七津屋は参道入り口に戻ってくる。当番、新町大行燈は左に寄り道を空け、上
町、七津屋に横町通りへ入るように態勢を取り、上町の太鼓が進んできたが、この太鼓を押し戻す人
がいて、裁許が話し合い、横町の小行燈3本に道を空けてもらい、8時42分ころ新町大行燈が進む。
私は銀行側に戻ったため見ていないが、他の大行燈も横町小行燈が道を開けたところを進んだと思
われる。
七津屋通りでは9時半頃にはシードビル向かいに辰巳町が止まり、進むと七津屋通りの南端2日目
コースの端、Uターンしたところで戻る浦町を横町が遮っている。
新町通りで横町が線路まで行って戻るとき、辰巳町はそれを待たず、本来の2日目のコースを回らず
に中越産業側に進んだ。(横町を追い越すため)、その場の観客は、「天気もいいしやっとりゃいいな
いか」、インターネットで夜高祭を検索すると「大行燈が揉めていた」との撮影者(町外)の記載もあっ
た。しかし、9時36分には通す。

9時55分ころには先頭の辰巳町が止まる。横町は10時20分頃止める。10時50分撮影に辰巳町
が帆を回していた。
引き合いは先頭、新町が進んだのは11時半頃か、終了は0時7分頃。

3日、曳山巡行、天気は晴れ、心配なし
上町・七津屋の屋台(庵屋台)が出る。特筆すべきこととして、出発式後、屋台を先頭に曳山が続き
神明社へ向かうが、その先頭に各町から4名の裁許(当番新町、浦町、横町、上町)が並び進む。
本年は台締め前、4月25日頃から山行きの5日まで、雨の心配のない年であった。


平成28年(2016年) 
5月1日、天候の心配なし。
2日、晴れ、天候の心配なし。
 横町の小行燈が横町に帰り、先頭のちび行燈が教願寺側、細い通りを進み戻ってくるのを河合金
物前で横町小・中行燈が待ち、道路半分を空け、辰巳町・浦町大行燈が銀行四つ角へ進む、このす
り替えのとき、大行燈の山車が回り民家に触れそうになり停止する。
 9時半前には下り行燈先頭の辰巳町は位置に止めていた。
  登り先頭の新町が進んだのは11時ころか。
シャンシャン開始は1時少し前。かってない早い時間では。終了は1時34分ころ。


平成29年(2017年)
5月 1日(月)
午前は一時強く降ったが午後からは雨の心配のない曇り。
上町が参道から横町通りに出たときには、横町小行燈3台は松原呉服店向かいに止まる横町大行
燈とすり替えし終わり、参道入り口まで来ていた、横町大行燈の奥には新町大行燈が見えた。
横町小行燈3台のうち2台は宮参りのあと横町通りを進む、その後トラブル。百生宅向かいに止まっ
た辰巳町が横町小行燈の唐獅子、恵比寿を通さない。
銀行側の沢崎茶舗前に御蔵町、後に辰巳町は道路中央融雪装置を跨ぎ止めている。浦町はずっと
後方の富山県信用組合の前、上町、七津屋とはすり替えを終えている。
 横町小行燈が辰巳町とすり替えをしたのは8時42分頃。25分以上待たせたようだ、後日、横町の
人から「長いこと待たされたので、寒くて子供たち風邪ひいたわ〜」と。御蔵町の人は「ここに(沢崎
前)1時間おるわ」と言っていた。
(年配者の話し、15年ほど前、横町中行燈が辰巳町の小行燈を止めたことがある、それが残ってい
る・・・、
初日はコースが長いが、銀行あたりへ出てくるのが遅いので辰巳町通りへ行くと10時40分頃、電気
トラブルで灯が消えている行燈がある。
一度場所を外れ、戻ると塚本バッテリーか?、車が来て作業をしていた。「こんなので辰巳町通るの
か!」、「通りたいわけないねぇか!」「御神灯だけでも灯いていればいいのか?」などの声があがっ
ていたが、10時47分点灯し拍手が上がる。
11時35分ころ裁許、最初の安全確認。
 先頭、上町の太鼓が進んできたのは深夜0時、七津屋、新町が御蔵町とすり替えたのは0時8分。

5月2日(火)天候 曇り、やや寒いくらい
上り行燈先頭、新町が出たのは11時34分、七津屋が全てと引き合い、すり替えを終えたのは0時2
0分ころ。
今年の引き合いは時間が長く、破損がひどい、上町通りには、例年見ないほどの多くの竹、紙の残
骸が残っていたが、七津屋若衆や上町通りの方々が片づけていた。


平成30年(2018年)
 本年は前例の無い、80代年配の祭り関係者も自身の覚えに無い、人々の記憶に残る事があっ
た。
5月1日、天気は晴れ、心配のない天候。すり替え先頭は新町、11時半頃開始。
5月2日、天候不良、小雨、時折しっかりと降る。6時半前に銀行四つ角に行燈が集合し、6時30分
過ぎに出発、小行燈は宮参りのみ、各町判断か。横町の小行燈は四つ角を一回りしてから横町通り
へ入る。大行燈の出発は7時半頃。
 参道入り口には当番町(上町・七津屋)裁許2名が控えている。この時、雨は止んでいるが道は濡
れている。
 銀行四つ角ではステージには夜高行燈コンクールの各賞の掲示があり、判りやすい。ここで夜高踊
り、子供夜高太鼓競演会優秀者の演技など、その時間帯に横町大行燈が御蔵町から出てきてしば
し中断。
 進行は、9時20分には上町、七津屋は北陸銀行前に止まっていた。
 今回が初めてだと思うが上町と横町の太鼓の場所をカラーコーンでバリケードし囲ってあった、太鼓
の場所確保、お客との接触(バチ、うるさい)をある程度避けるため有効と思う。
 10時10分頃には下り行燈先頭の横町は車を抜いている、但し、道路中央には寄っている。10時
30分前には辰巳町は帆を回していた、例年より早いと感じた。この天候なので「定刻(11時)にやろ
う」と言うことだろう。
 ただし、下り行燈の間隔は大きく、御蔵町は新町入り口より南側に止めている。裁許の安全確認、
各町との交渉、台の位置修正が行われる、この場所まで来ているのになかなか時間がかかると感じ
た。
 例年より大幅に遅い、11時45分頃ころ、上町が出て来る。次に辰巳町。3本目浦町との引き合い
のとき山車からの転落事故発生、私は落ちるのを見たが場所が遠く、どちらかは判らなかった。
 12時前、次に七津屋が出ようとするところ、転落事故の調査のためか度々、複数の警察が向か
う、七津屋はその態勢で中断、時折、雨は強く降るなか、太鼓は響いていた、観客の待つ時間は長く
なり「どうなっているのか? 中止か、長い記憶にないぞ」と今年からの「各町内からの誘導員」とも
声があがる。
裁許の提灯が石動証券側に進む、裁許が集められる、そして各町へ散らばり、いつしか太鼓は止ま
り、時折雨の降る中を山車に上がり続けていた若衆は降ろされ、「山車は1人だけ、そしてすり替えを
行う」とのこと。
約1時間を越える中断、今年から各町から出した誘導員など多くの人が1時15分ころに太鼓、拍子
木もない静かな中を進む行燈を見守った。

下り行燈で異変、上り行燈のすり替え後、2番目の辰巳町が先頭の横町を追い越した。横町はそれ
を止めようと台棒を振り、台から数人が落ちた、という。撮影では辰巳町の前には裁許の提灯が映っ
ている。
例年は、横町が銀行四つ角で横町通りに頭を向け、辰巳町、浦町が御蔵町から出てくるのを待ち、
横町通りへ進むが、待つこと無く進んだ。
 撮影を終えたのは1時40分ころ、雨が降っていたが、普通ならシャンシャンが始まるころである、3
日日の曳山は天候不良のため中止とのこと。
 後日聞いたのは、シャンシャンは4時15分、揉めてなかなか始められなかった。
一番遅い20年くらい前の横町当番のときの4時半までにはならなかったとのこと。
 


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