越中福野  夜 高 祭 年 表  
   (あんどん=行燈=献燈=燈鉾=敬神燈  文献にはこれらの表記がされている) 
  参考文献 福野町「時の会 越中福野 夜高まつり年表」、福野町史(通史、写真統計)
   新 ・ 旧、福野歴年誌、 福野誌料(御神燈関係抄録)抜、上町裁許記録
   広報ふくの6月号 2001年、 船鉾(平成15年 野原氏) (色文字)は追記

慶安 3年(1650)
  1月22日、 町立ての許可がおりる。
慶安 5年(1652) 
 2月、 福野新村大火、 76戸全戸消失。
 4月、 福野神明宮、 伊勢から御分霊勧請の帰途、 倶利伽羅峠付近で日が暮れ、氏子達が手に手
にあんどんを持って出迎えた。 これが 「夜高あんどん」の起こりとされる。

承応3年(1654) 
 この年、 春祭りとして始まった行燈行事が、 「夜高祭」 始まりとされる。
文久2年(1862) 
 福野神明宮神輿渡御巡幸の大傘鉾(参考図)を模装し、 横町、 新町、 下(浦?)町に16枚張りの田
楽で、高さ4丈の大行燈をだす。
 幕末期に、 あんどんはどんどん高くなり、 町屋の屋根を超えて暗闇にあんどんがゆきかったとい
う。 その様子が近郊からも見ることができ、 「夜高あんどん」といわれたという説もある。

明治 9年(1874) 
 子供燈鉾およそ百燈神前に供奉し、 町内持ち回り帰町。
明治12年(1880)
  コレラ発生し、行燈が出ない。
明治20年(1887)
  5月1日、上町7基、 新町5基、 浦町7基、 横町8基の計27基の行燈がかつがれる。
明治26年(1893)
  電線が張られたため行燈の高さが7メートル57センチに制限される(実行されず)。
明治30年(1897)
  北陸線及び中越鉄道(城端線)一部開通
明治42年(1909)
  8月末、警察より電話線架設により、行燈の高さ制限、励行の厳達があった。
大正 4年(1915)
  5月1日 浦町と新町が西方寺前で大喧嘩となる。
昭和 13年(1938)
  昭和12年に日華事変勃発  子供行燈のみ。
昭和14年(1939)
  夜高行燈取り止めで行燈が1基も出なかった、全部が遠慮した。
昭和15年(1940)
  皇紀2600年の年、生活必要物資の切符制実施。子供行燈だけを昼間に出し、午後二時に神明
社にお参りした。

昭和16年(1941)
  灯火管制のため子供行燈を昼間に出す。
昭和17年〜20年
  戦時体制の下 戦没者の遺族を思い、祭礼行事は自粛となる。
昭和21年(1946)
  終戦後、物資不足のなか北国染工から染料を調達して行燈が出された。上町は、戦後初めて中
行燈で 山車 菊水制作する。

昭和22年(1947)
  上町では、戦後初めて高御座大行燈と幼児行燈を出す。
昭和24年(1949)
  開町300年祭を機に夜高行燈優美投票が始まる、 御蔵町が1等賞獲得する。
昭和25年(1950)
  七津屋大行燈台新調(文久の大行燈の台として使われている)
昭和26年(1951)
  5月2日深更、上町(林 智雄宅前付近)において、七ツ屋と横町の行燈が、行き違い競い合いの
時、即死1名重傷1名軽傷1名を出す。(取り調べ等夜が開ける?)

昭和27年(1952)
  9月9日、 福野神明宮御遷宮三百年祭の折、 上町、 浦町屋台、 町中練り廻る。
昭和28年(1953)
  夜高行燈優美投票に御蔵町が5年間連続一等賞を獲得。(次年度は審査外)
昭和31年(1956)
  5月1日、 夜高保存会、 行燈撮影コンクールを行う。
昭和32年(1957)
  5月3日午前1時、 四ツ角で辰巳町(龍宮)が七津屋とせり合い倒伏破毀された。
昭和33年(1958)
  8月 上町通り6.5メートル拡張舗装が完成し、祝賀祭が挙行される。
昭和34年(1959)
  5月2日午後、夜高行燈四ツ角付近に集め、天然色(カラー)観光映画撮影する。
昭和35年(1960)
  5月1日、内山氏が神明社前に戦前の七津屋16枚張り行燈田楽を献灯する。
昭和45年(1970)
  5月、長岡一忠氏が『福野の夜高まつり雑考』を出版する。
昭和48年(1973)
  10月、夜高行燈が東京の銀座祭に出演。 4町各1基ずつ参加し町民250人により練り廻され
る。
(横町、大行灯台棒、横棒、芯棒新調?、町内披露?、福野町氏子の写真、10月 新町大行燈台
製作

昭和56年(1981)
  6月、富山市山王祭に 新町・浦町大行燈参加
昭和57年(1982)
  浦町大行燈台 四月吉日完成 実行委員長 吉井惣一
昭和58年(1983)  1日夜雨、大曳山祭のためビニールを付ける行灯有り(この年だけの異例なこ と、
福野はビニールを付けて練り廻し、宮参りすることはない)、大行灯も異例の宮参りのみ、あと、自町は
各判断練り廻し。2日夜は、横町が前川さん前まで進み辰巳町は後ろに付くが、浦町は二日のコー
スにない西上町を回る。(福野町から全町内が祝儀を頂くが、町長宅前を1日に回れなかったため
か?)
 富山県置県100年記念大曳山祭に 七津屋 ・ 横町大行灯参加、3日夜は最終に練り廻し、5日夜
は福野で出来なかった鬱憤晴らすべく激しいケンカ行う、時間オーバー構わずシャンシャンをその場
で行い「魚津たてもん」を待たせる。(横町、大行燈台と横棒新調 四月)

昭和61年(1986)
  NHK「北陸東海」で夜高祭が30分番組で紹介される。 上町大行燈台新調
昭和63年(1988)
  富山市のますの寿司製造「源」観光用レストハウスに新町の神輿行燈が常設展示」
平成元年(1989)
  上町 ・ 浦町大行燈が名古屋市市制100年祭に参加
平成2年(1990)
  姉妹都市の香川県多度津町町制度100年記念に、辰巳町・七津屋大行灯参加」。
  五月壹日 七津屋大行燈台製作 世話方 七津屋地区会館建設委員会
平成3年(1991)
  3月にオープンした福野文化創造センターに横町行燈(唐獅子・展示用)が1基常設展示される
平成4年(1992)
  7月、JET福野の日に上町・浦町の大行燈参加 (ケンカ行う)
平成8年(1996)
  神戸祭りに文化創造センターの展示用大行燈、 横町を中心として参加
  京都祭りに横町 ・ 浦町の行燈参加
平成12年(2000)
  文久大行燈作製、上町山蔵前に展示。 さらに、秋、国体期間中(富山県会場2000年国体)にシ
ョッピングセンター・ア・ミュー向かいに展示。
平成13年(2001)
  横町、大行灯横棒新調
平成14年(2002)
  3月23日夜高祭350周年を記念、裁許会、町内有志が伊勢神宮へ崇敬参拝。
  神楽殿で七町内大行燈田楽、裁許提灯、拍子木が御祓いを受ける。
  大鳥居前に文久の大行燈を早朝から飾り夜10時まで点灯する。
  文久の大行燈、猿ヶ辻公園に展示。
  11月「いきいき富山伝統芸能フェスタ」において浦町大行燈が富山市に展示。
平成15年(2003)
  4月21日 福野夜高祭350年記念誌「万燈」発刊される。
  上町大行燈が「鳳凰台」に変更される。
平成16年(2004)
 1日、2日とも晴天。 文久の大行燈は福野駅前に展示。
平成17年(2005)
 1日夕方まで小雨、天候不良、大行灯のみ宮参りのあと各町判断。当番町の横町は裁許会におい
て、四町ごとに神明社への宮参りのため横町j通りを出入りする大行灯の進行を考慮し、宮の入り口
より西側に止めることを提案、了承される。 2日は晴天。
  文久の大行燈、前夜祭に練り回し。

平成18年(2006)
 1日小雨、7時ころ回復し宮参りのみ、各町判断、大行灯もビニールを外すが、先例の無い強い雨、
雷雨、一時停電となり街灯の消えた町に行燈だけが灯り、拍手が上がる。2日は晴天。

平成19年(2007)
 1日早朝は晴れ、順調に行燈が立てられたが、日中に一時小雨、ビニールの隙間からはいった雨
に紅の流れた部分も見られた。夜は1日、2日とも晴天。3日も晴れる。

平成20年(2008)
 一週間前から、週間天気予報は4月29日〜5月1日(木)、2日(金)〜3日の間、晴れ、一時曇り、最
高気温25度との予報。
 28日から3日まで、雨の心配のない好天に恵まれる。1日深夜、上り行燈が動いたのは11時20
分、2日は11時25分頃。
文久の大行燈、11月9〜11日、全国菊花大会会場の福野体育館前に展示。

平成21年(2009年) 5月1日(金)、2日(土)、日没は6時40分ころ。
 4月27日頃より晴天が続き、両日とも日中から雨の心配なし。上町大行燈は高御座(たかみくら)の
復活。警察の強い要請など、早い時間からの運行を行う、小行燈は6時半、大行燈は7時ころ出発、
御蔵町、上町、七津屋、辰巳町、浦町、新町、横町の順、町内においては夕方に自町の一部を廻
る、行燈配置場所に集合し、銀行の四つ角まで出てくる時間を要するなどの課題もあっただろうが「6
0年行燈見ているが、こんな早いことはない」と年配者の話し。すり替えは10時45分ころ。
 二日目、最初の大行燈は7時ころ出発、8時40分過ぎ〜9時には横町通りから上町、七津屋、辰巳
町、浦町が続いて出てくる。2日目2番出発の新町は9時過ぎには第一銀行の前に付ける、あとは御
蔵町を廻るのみ。10時55分にすり替え開始。シャンシャンは見ていないが、0時55分とのこと。
  11月11日 富山市駅北で、全国商工会青年部大会が開催され、福野(文久の大行燈)、庄川、津
沢、砺波(出町)の行燈が屋外展示される。福野の製作には南砺市商工会青年部が中心となり、福野
町部の行燈を出す町以外の商工会会員、城端商工会会員も協力する。 前日から組み立てながらも
雨天・強風、当日の展示は傷みがあったが点灯、約3,000人の参加者に披露する。

平成22年(2010年) 5月1日(土)、2日(日)、1日の日没は18時40分ころ、月の出21時46分。
 天気晴れ、前日30日の前夜祭(祭礼神事とは異なり、地域活性化・参加の場の面もあり、合唱、民
謡保存会、ヨサコイグループの出演参加や、太鼓には祭当日とは異なる地域・子供達も参加、従来
の夜高祭の町内を越えての参加を企画したもの〜(個人的な感想です)の文久の大行燈には、台が
大きくなり新調され、山車は風神となる。
  1日の運行は、先頭の大行燈が横町通りに7時5分に入り、最後の大行燈が横町通りから銀行四つ
角に戻るのは9時10分、すり替えは11時20分。
  2日は、先頭が横町通りに7時に入り、最後が銀行四つ角に戻るのは8時52分、上町を先頭に並ぶ
のは9時50分、すり替えは11時。なお、1日、2日で練り回し経路、順番が変わり、通りの幅が狭いこと
から大行燈のすれ違い場所が決められていることなど、年によって進行時間は変動します。

 平成23年(2011年)5月1日(日)、初日は雨が降り不安定な天気、日中は風も強くビニールが風に
あおられる。天候が不安定なため大行燈のみ2日目のコースを回る。4つの町内はビニールを被せて
周り始め、途中外す町内もある。 2日は天候に恵まれる。
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