夜高祭(よたかまつり)の日時、場所〜
夜高祭の日・時間帯等

 5月 1日 ・ 2日(年によって変わることはありません)
 午後6時半頃より小行灯が銀行四つ角を出発し神明社(神社)に向かい、大行燈(高さ6メー
トル60センチあまり)は7時ころから神明社(神社)に向かいます、小・中行灯の練り廻しは9時くら
いまで、大行灯は11時くらいまで、最後には自分の町内を回ります。
  3日は、曳山がでます。10時に銀行四つ角を出発、宮参りのあと、自町などを回ります。

 夜高祭に来られる皆様へ
祭には残念ながら雨のこともあります、雨具で傘は控えてほしい、ぜひ山歩きのようにカッ
パなどに。町の通りは狭く、傘だと場所を取り人の多いところだと歩きにくい、横の人に雨滴
を落とすことに。行燈を見上げる、写真を撮るときなど遮ることになります。
 参道や上町通りでは大変混むことになります。ご理解、ご協力願います。

       ナントシ  フクノ
  富山県 南砺市 福野地区、〜JR駅では「福野(富山県)」で検索してください〜
 富山県南西部にあり、西隣は金沢市の南砺市、北陸新幹線の富山、または新高岡から乗り換
え、JR城端線の真ん中当たりにある福野駅、福野地区でおこなわれます。
 高速道路では、北陸高速道路 砺波IC、又は小矢部ICからは10分足らず、東海北陸道 南砺
スマートICからは5分足らずです。

 ゴールデンウイークの周辺の祭礼
5月1日 高岡市御車山祭
5月3日 富山市八尾曳山祭
5月3-5日 石川県七尾市青柏祭
5月5日 南砺市城端曳山祭(4日は宵祭、御神像、曳山が展示)
  富山県内では春山スキーの立山、新緑の黒部峡谷など
  南砺市には五箇山、新緑の合掌集落、春祭の獅子舞の季節です。
 
福野以外にも夜高行燈の出る祭が行われます。]
6月第1(土・日曜日)砺波市「庄川観光祭」、初日に富山県内シーズン初の花火大会。
6月第1(金・土曜日)小矢部市「津沢夜高あんどん祭」。
6月第2(金・土曜日)「砺波夜高(ようたか)祭」。
 効率良い見物の時間帯としては、1日の7時から、9時までの間に、「銀行四つ角〜神明社」の
間で眺めることです。1日目はお客が少ないこと、行灯の破損がありませんし、優美コンクールの
垂れ幕も9時半頃までなら下がっていませんので写真マニアにもお薦めです。
 7時半頃には、銀行の四つ角の横町側で、神明社へ参るために集まってくる行灯を眺め、お宮さ
ん側へ場所を移せばいいと思いますし、間近で見逃した大行灯があっても、横町通りを回って、帰
ってくるときに見る可能性もあります。
  経路図 PDFファイルの写真・案内等、
 
長い製作を経て立てた行燈、迎えた夜に燈を灯し 響く拍子木 漲る気合 春宵一刻値千金

 町内名  浦町(うらまち)、 辰巳町(たつみちょう)、 横町(よこちょ)
    上町(かんまち)、 七津屋(ななつや)、  新町(しんまち)、 御蔵町(おくらまち)
 この七つの町内が大行灯を出します。 このほかに、松原地区が中行灯を出します。

 町内名は、行灯の中央部分、長方形の連楽(れんがく、又は田楽と呼びます)側面の片方に○○
氏子と書かれています。
その他に傘鉾(かさぼこ)に (浦)、(辰)、(上)、(七)、(横)と入っている町内もあります。
 山車の下に下げてある番号は、夜高行灯優美コンクールの審査用番号です。

  祭りの構成員
 各町内毎に、 裁許(さいきょ)祭り運営の責任者、 若衆頭 若連中のとりまとめ、 祭りの牽引
者です、 若連中、行灯製作、 祭礼当日の練り廻しの中心となり、町内の人と共に練り回します。
  このほかに、町内の区長、町議会議員、裁許OB等が相談役となり、製作、練り廻しを行いま
す。
    
準備〜作製 
 2月下旬頃より、各町内の公民館で公聴会が開かれ、裁許、若衆頭の紹介、予算が決められ 、
製作が始まる。
  製作は公民館で毎晩行われ、まず行灯から昨年の紙を破り取り、木と竹、針金でできた骨組み
の確認、 針金の結び目の緩んでいるものは縛り直し、 木・竹の破損しているものは取り替えたり
して修理、破損がひどかったり、形を変えるときは新しく作り、電球の点灯チェックをして、紙張りに
かかる。 小行灯の吊り物は膝に乗るほど小さく、1回に貼れる竹の枡目(障子の枡目を思ってくだ
さい)も曲面の部分では5セン四方にも満たないぐらい小さくなるので、「よく今の若い者が〜」と思
うほど地味で長い仕事です。蝋引き(ロウビキ)、溶かした蝋で模様の線を引き、染料(紅・ベン)で
色塗りとなります。
  町内により少し異なりますが、4月28・29日には、行灯の台締、そして30日夜〜5月1日朝に
組み立てますが、天気が悪いと組み立てが午後になることもよくあります。         
             
銀行の四つ角では、通る行灯の紹介放送、2日
には特設ステージで夜高太鼓、夜高踊の披露が
あります。
  1日・2日とも、町内の数カ所には、大行灯の進
行位置の掲示、上町の民家ではミニ行灯の展示
や武者絵教室の作品展示など、横町では以前
の大行灯の連額の武者絵、文字(右は小さいも
の)などが展示され、町内の商店にはミニ行灯も
展示されています。
福野神明社夜高祭  由来
 富山県南砺(なんと)市福野、「旧東砺波郡福野町福野 平成16年11月町村合併」、神明社の5
月1日、2日の祭り。 祭神は天照皇大神と豊受皇大神で、慶安5年(1652)に創建されたと伝えら
れている。
 江戸時代慶安2年(1649)、本江村阿曽三右衛門が野尻野の過分の所(やせた土地)に新し
い町を立てたいと郡奉行に願い出、慶安3年正月に許可が下りた。その年すぐに57軒の家が建
ち、翌年には64軒の家並みとなった。
 慶安5年(1652)陰暦2月、大火で全戸が消失するという災害に見舞われた。町の人々は、大
火の後直ちに町の平安無事のため神の加護を求めて、2名の代表者を伊勢神宮に参拝させ御分
霊を勧請し氏神を祀ることになった。その帰り、県境の倶利伽藍峠のあたりで日が暮れることを伝
え聞いた人々が手に手に自家用の行燈を持ち迎えに出た。それが旧暦4月1日であったという。
 自家用の手提げ行燈に多少の工夫をしたのが始まりで、次第に優美に意匠を加え、競って雄大
さを誇り、これが、夜高行燈を御神燈として、5月1日・2日の両晩、町内を練り回る起源と伝えら
れている。 

 福野神明社由緒
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   行灯部分の名称
 
祭り以外の日に行灯を見るには
 1 福野町文化創造センター(ヘリオス) 横町製作大行灯の「唐獅子」(上の写真 H3製作、
H8、H27年貼替)
 2 富山市 「源の鱒の寿司レストハウス」の新町製作大行灯「御神輿」、後の吊り物は昭和40年
代後半までの「桜に刀と鏡(私はそのように見ます、新町の方には聞いてはいません)。
  この2カ所、2台があります。 どちらも入場料は不要、 製作から年数が経過すると表面の染
料「通称 紅(べん)」のが色あせします、展示状況、日が当たるか、点灯時間によりますが、以前
に御神輿を見たところ、かなり色褪せるしていました。
なお、展示スペース(高さ)の融通で、連楽等が町内練廻し用より大きく、全体に高く作られていま
す。               
 

                                       夜高祭・・・ 紹介、想い      

   夜高祭(よたかまつり)  1
 富山県南砺市福野の祭、5月1日、2日、年によって日が変わることはなく、夜に行燈型の山車
の練り回しが行われる神明社の祭礼です。夜、7時には町内中心部、通称「銀行の四つ角」に7つ
の町内から大行燈〜中行燈〜小行燈〜チビ行燈(七つの町内から大行燈、中〜チビ行燈は町内
の行燈の本数により、町内により呼び方が違うかもしれません)、全部で24・5本が集まり、町内
ごとに一番小さい子供行燈を先頭に順次、横町(よこちょ)のお宮さん(神明社)へ向かいます。大
行燈が横町通りに入る、神明社へ向かうのは8時の少し前ころからです。
 大行燈の前には太鼓がつき、叩くのは半月余り前から練習を重ねてきた小中学生や太鼓世話
の大人、夜高太鼓保存会の人たち。笛は小学校上学年〜中学生の女子が中心となっています。
夜高太鼓と呼ばれ、太鼓は二人組で、二人とも同じ大きさの「バチ」を使い、大きく打つ、主になる
のが「大バチ」、リズムを取るのが「小バチ」と呼ばれ、交互に、目で合図するなどして役割を変わ
ります。大バチは「息の合った〜(二人が合わせる)」というよりも、その人なりの叩き方、間の取り
方が活きる自由なもので、バチの返しかたなど見とれることもあります。早い時間帯、大行燈が出
発する前には銀行の四つ角、交差点に6つの町内の太鼓が集まり、神明社側の横町は交差点か
ら少し入った場所で他の町内が横町通りへ入るのを迎えるように、互いに競うように太鼓を打ち
鳴らし、建物に挟まれた通りに響き身体にも伝わってきます。
 行燈製作は、町内により異なりますが2月中旬ころから始まり、毎年紙が張り替えられます。ま
ず骨組みの木、竹などを確かめ修理や補強、電球の点検をしてから紙、和紙を貼り、模様、色の
区切りとなる線を溶かした蝋で書く「ロウ引き」、色は紅(通称ベニ・ベン)と呼ばれ、繊維の染料を
使っています、絵具ではありません。色によって和紙に延びやすく塗りやすいもの、ロウに弾かれ
やすいもの、そうでないもので扱いやすさ、作業の面倒さが異なります。祭を見に来る皆さんに
は、小さい行燈は付いている子供たちの表情とともに「カワイイ」と感じるでしょうが、小さい行燈は
竹細工、紙貼りの枡目、模様が細かく、その一マス一マスの枠の竹に塗った糊につくように手を
当てて紙を貼り、一つの模様に息を止めるようにロウ引き、色塗りが進められます。
 祭の約一週間前には行燈の台が出され、28日夜や29日(祝日)には町内総出で「台締め」と呼
ばれる作業、行燈を立てる四角い台の両脇、前後の向きに太く長い台棒、横方向に横棒を組み、
縄で縛ります。町内により異なりますが、祭の前日の夜、当日の早朝には行燈が組み立てられま
す(天気により時間がずれることもありますが)。
 行燈製作の他にも、祭進行の責任者となる裁許(さいきょ)、当番裁許を世話役として何度も会
合が開かれ、運営の確認、関係団体への挨拶・連絡や依頼、町内を各町裁許とともに道路の痛
み、電線の高さ・弛み、看板等が行燈の進行に支障がないか点検します。
 多くの人の協力、長い時間をかけて作った行燈が立つ祭の前日には、電気工事業者が町内の
街灯を住宅側へ倒します(柱を軸に90度回す)、場所によっては街灯(照明部分)自体を外し、行
燈の進行を妨げないようにして特別な日、過ぎてしまえば幻のような日に備えます。
 

   夜高祭(よたかまつり)  2
 祭の日、行燈が立ってからも、大小の行燈を町内の場所に移動し、天候をみて場合によっては
ビニールシートを被せ、バッテリーを載せて配線や、行燈製作場所の公民館を片付け、練り回しが
終わったあとの休憩場所の準備、祝儀の紙の掲示が行われ、商店街、祭のメインストリートと言
える大行燈がすれ違う上町通りでは大きいショーウインド−の前、シャッターがあっても雪囲い、
ならぬ押された人からガラスを護る「人囲い」が組まれます。福野、5月1日・2日だけの風物詩で
す。
 夜の練り回しは各町内を6時半ころから出発し銀行の四つ角に集まり、行燈の進行具合を確か
め、当番裁許と各町裁許が連絡を取り横町通りへ進み神明社に参ります。小行燈が参拝し終わっ
てから大行燈が動きますが、その前につく夜高太鼓の子供たち、祭当日は一段の気合いが入り、
30分で手の皮が剥けるといいます。
 大行燈の先頭には太鼓、次に各町の祭礼の責任者、裁許が提灯を持って進み、止める場合に
は行燈側に振り返り、その上げ下げで進行・停止を指示します、裁許と行燈の間に若衆頭が入り
ます。
 山車に登る者は電線や看板に注意して避けるための進路を進行方向に背を向け後ろ歩きする
若衆頭に合図し、台に前に乗る拍子木を持つ若衆は進行や停止を拍子木の叩き方で合図しま
す。それは台の前を担ぐ者や、台の両側に行燈から離れて拍子木を持つもの(単に「拍子木」と呼
ぶことあり)に合図、又、拍子木は行燈が曲がる時、台棒が住宅や電柱にぶつからないか前後の
確認と若衆頭への合図や、安全のため(自分らの行燈に触らせない?)観光客を下がらせたり、
時には台に乗る者の拍子木が前後でリズムが狂っている時、拍子木を合わせるように注意しま
す。太鼓や拍子木など、うるさくて声が聞こえないので「拍子木を見る」、拍子木を向けること、鳴
らし方で合図し行燈を進めます。
 山車に登る者も、例えば夕方、暗くなる前は下がよく見えて怖くても、暗くなればそれ程感じなく
なり、次第に慣れ、急に止まるときも判り、身体のバランス取り支えますが、時には注意をそらした
時に電線が頭をかすめることもあります。
 福野の他にも多くの行燈を出す地域として、津沢、庄川、出町(砺波)がありますが、神社の祭
礼ではなく地域の盛り上がり・活性化、観光として周辺の田祭りの行燈を真似て町区域で出すよ
うになったところや、40年ほど昔は福野から中行燈を借りて出した所もあるそうです。津沢は台の
幅,山車が大きく重量感があり、出町は町内数、大行燈の数が多く「突き合わせ」(ケンカ)も2箇
所で早い時間から行い(組み合わせ、時間も公表?)、庄川は行燈の形に針金を多用しており明
るく、型で引いたような細かい模様が目立ち、それぞれに特徴があります。皆さんはどのように感
じるでしょうか。行燈につく人が多いからか、福野では使わない笛(ホイッスル)、拡声器を使う所
もあります。
 いずれも町内の人たちで行燈製作をしています。例えば彫刻・金具・塗物で飾られた曳山はそ
れぞれの職人により作られ、運営のため早くから会合や段取りはあるでしょうが、曳山自体に対し
て毎年行われるのは手入れ・飾り付け・組み立てだけかもしれません、行燈は長く地道な製作作
業があり、製作に追われながらも待つ気持ちが次第に大きく、圧縮するように祭の日を迎えます。

 

  夜高祭   3
  私が行燈、祭の記憶があるのは小学校低学年のころ? 天気が悪くカッパを着て回ったことや、
終わってからジュース、お菓子をもらったこと。小学校高学年〜中学生のころには、夜、行燈製作
場所に手伝いに行き紙貼りや色塗り、昼、学校から帰って他の町内の製作場所、進み具合を見
に行ったものです。現在の福野小学校に統合する前は祭の日は半日で帰れて、明るいうちから
法被を着て行燈の台棒に乗ったり、お宮さんの香具師で「おこずかい」を使うなど、うれしかった覚
えがあります。
 社会人になってから本格的に製作に参加するようになり、4月後半からは連日11時を回り、ビ
ールの味を覚え、日曜日の前は作業のあとの話しが1時過ぎになることも楽しく、いろいろなこと
がありました。
 ロウ引きをする人が、同級生に「何これ〜、・・・・」と言われ、翌日にはその部分のロウ引きが変
わっていた、みんなが帰ったあと、紙を貼り直して翌日にロウ引きをした。紙貼りだけでも面倒な
部分だけに、言った人、周りの人も目を見張った。その人の気合。
 電球の付け替えを若い者にさせた人が、年配の人に「お前、ちゃんと見ているのか、教えたの
か。若いもんが責任持てるのか?」、紙との距離、電球と骨組みの木の影や配線の張り具合、き
ちんとできているか、直すことも考えて電気配線の状況を把握しているのか。
 台締めの準備で「こんな鎌で作業せ〜言うがか」、道具の状況を見て、使えるとしても少し補充
する、道具、金具に注油するなど、スムーズに作業できるように、町内の先輩方に作業してもらう
ことへの準備。
 みんなが同感〜と感じたことでは。祭当日、仕事から帰る時「車の中でも身体が前向いてくる
(前傾になる)、雨でも降っとろ〜もんなら、なおさら気い急いて〜」、行燈の準備が思うように進ま
ない、若い衆の気の昂りを察する思い。
 「祭に仕事行ってもロクなことない、女の子まで、〇〇さん、今日は・・・、なんて言うとる」、表
情、対応がいつもと違う、カリカリしている。など・・・。
 祭当日では、天気が急変し組み立て作業中に「あられ」が降り行燈上部、屋根の紙が破れ修理
した年があった。
 1日の夜、天気が回復し被せていたビニールを外したが雷、土砂降りの雨になり、町が停電。街
灯、家の灯が消えた中、行燈だけに明かりが灯っている・・・観客からのどよめき、拍手が上がっ
たこと。その翌日には紙を貼り替えた町内があった・・・「ありえない〜」の声。
 自分の町内を廻るとき、12時過ぎに玄関先で出迎えてくれる人々、町内役員の玄関先では行
燈を止め、挨拶。町内を廻り終え行燈の解体、公民館での収納、片付のとき、「シャンシャン」を終
えた裁許の提灯が見え、迎えるねぎらいの拍手が上がる。
 行燈のこと、祭になると人が変わる、当日は面(ツラ)が変わる、血が騒ぐ、行燈キチガイ、との
言葉が聞かれる祭です。ですが、以前から社会現象としての町のドーナツ化、少子高齢化、町外
への就職・転居で製作、担い手の減少、資金面でも厳しさが増しています。しかし昔から多くの人
の熱意、協力で引き継がれてきた、歳が離れても共通の話題、力を合わせる場となる夜高祭、こ
の経験がプラスとなり担う人たちが職場で活躍、地域とともに発展し、夜高祭が引き継がれること
を願います。


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