お里帰りをした答礼人形「ミス富山」

 昭和2年、日本とアメリカの友情のためにおくられた「青い目の人形」のお返しに、富山県の子供たちが、一人1銭ずつ出し合い、今のお金で350万円もする日本人形をアメリカにおくりました。それが答礼(とうれい)人形といわれる「ミス富山」です。
 「ミス富山」はアメリカのケンタッキー州で住むことになりましたが、終戦後、洪水で流されてしまったと思われていました。それがケンタッキー州のJ・B・スピード美術館に保存されていることがわかりました。
 しかし、何十年もたち痛みがありました(写真左)。そこで、1995年(平成7年)68年ぶりに富山にお里帰りをし、きれいに修理をしてもらいました。そのとき新しい着物も着せてもらい、いちだんと美人になった「ミス富山」は、また日本とアメリカの親善(しんぜん)大使として、アメリカに旅立っていきました(写真右)。
 富山県では、平成7年の3月24日〜26日まで、当時富山駅前にあった「マリエとやま」で、「青い目の人形と答礼人形交流展」が開かれ、このとき富山に残っている6体の青い目の人形もせいぞろいしました。交流展には、4000人以上の観客が訪れ、そのときのことは、テレビや新聞、「富山日米協会だよりJ・A・S・T」第7号にくわしく紹介されました。 

《新聞記事の紹介》アメリカで見つかった答礼人形「ミス富山」について
《新聞記事の紹介》68年ぶりに里帰りを待つ「ミス富山」について

J・B・スピード美術館で、
68年ぶりに里帰りを待つ「ミス富山」
68年ぶりにお里帰りをし、きれいになった「ミス富山」
富山に残っている6体の青い目の人形とも会うことができました。