最終更新日 2002/09/27
富山にとどいた150個の
    「青い目の人形」はどこに?
 1927(昭和2)年。宣教師ギューリック博士の発案で,ひな祭りに間に合うようにとアメリカから贈られてきた12000体あまりの人形たち。 「青い目の人形」は,アメリカと日本の子供たちを,友情でつなぐ親善使節だったのです。人形たちは,日本中で大歓迎されました。
 富山県にもこの年の4月2日、150個の「青い目の人形」がやってきました。その時のことが「富山日報」という新聞の夕刊に紹介されました。それには、下のように書いてありました。

富山日報 夕刊 昭和2年4月16日
 日米両国少女の固い握手で青い目の人形渡さる
        −意義ある今日の歓迎会−

 アメリカの世界児童親善会から日本にやってきたアメリカの人形12000の個のうち、150個をもらった富山県は、4月15日午前10時より県会議事堂において歓迎会を開催しました。
 150個の人形は、真っ赤な毛布をしきつめたひな段にずらりとならび、歓迎会に来た児童は、幼稚園児をはじめ、小学校の低学年児童たちでいっぱいでした。
 予定の時間になり、ひな段の幕が開かれると、子供たちはかわいいかえでの葉のような手をたたいてうれしがっていました。まず、「君が代」や「アメリカの国歌」を歌い、それから人形が寄付されることの説明がありました。
 次に、富山高等学校の先生のグッドマンさんの娘のモニカさん(4才)が人形をだっこしてひな段に進むと、もらう人を代表して、富山師範附属小学校尋常1年生の中村澄子さんが前に出て、歓迎の言葉を言いました。お客さんを代表して、くすのき女子師範校長先生の言葉もありました。
 最後に、「人形歓迎の歌」をみんなで歌い、歓迎会は終わりました。その後、一般の人たちにも公開され、午後4時、すでにおくることが決まっていた学校に、ちゅうせん順で「青い目の人形」が配られました。

 しかし,1941年アメリカとの太平洋戦争がはじまり,敵国の人形といわれて燃やされたり,空襲にあったり・・・・・・・。「青い目の人形」は,失われ,忘れられていきました。
 けれど,人形たちは物置や戸棚に隠され,ひそかに生きのびていたのです。 昭和48年, テレビで群馬県のメリーが紹介され, その後,つぎつぎに「青い目の人形」の再発見がすすみました。 現在、富山県では6体の人形が確認されています。

「富山県で発見された6体の人形」はこれだ!
約70年前に、「青い目の人形」が配られた学校はここだ!
「青い目の人形」をもらったお礼に、アメリカに答礼人形(「ミス富山」)をおくったんだよ!

「青い目の人形」関係のリンク集

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