
ここは、修行のための場ではありません。
皆様と我らの大広間。
全員が「もの申す」場です。
『成政』製品に関するご質問や、
日本酒に関するご質問・ご意見を、どしどしメールしてください。
我らも、力一杯、回答・発言させてもらいますよ。
きき酒用褐色グラスですが、専用のものの入手方法を教えて下さい。
専用のもの、というものはないようです。
最近のきき酒には、白磁の蛇の目チョコではなく褐色グラスを使用することがよくあるということで、その入手をとのお問い合わせでした。
成政が持っているものは、左の画像にあるものです。一度だけまとめて購入し、しかしあんまり使用しておりません…。横のタバコは大きさの比較用です。形がゆがんで見えるのは、デジカメのレンズ性能の低さのためです。(笑)
言われてみれば、専用のものがあるのかないのか、成政のこれがそうなのかどうか、疑問に思いまして、あちこちに問い合わせのメールを出してみました。そうして、広島にあります独立行政法人 酒類総合研究所からの返事の全文を以下に掲載致します。
当所で清酒のきき酒を行う場合には概ね次の2種類の道具を使っております。
@ いわゆる蛇の目ちょこ(白色の磁器で底に青色の同心円のあるもの)
これは、色や濁度(テリ)を含めて香味を評価したい場合に使用しております。当所でも通常のきき酒はこれで行います。
A 褐色のグラス(やや濃いめの黄色のグラス)
これは、色の影響を除いて香味を評価したい場合に使用しております。特に官能検査用のスタンダード(専用)はないと考えております。清酒の微妙な黄色がマスクされることと、ききちょこと似たような感じできき酒できること(ききちょことだいたい経の大きさは同じで、高さはやや高いですが、胴の経が2段になって下段が少し細くなっているものを使用しています。各段の経は上下同じです。)が要件と考えられます。過去に、市販のグラスの製品群のなかから買い求めたと思われます。 当所でも昔使用していた褐色グラス(やや小さめ、オールドファッションタイプ?)と現在使用しているもの(やや大きめの2段型)は違います。グラスを変えた主な理由は容量の違いであろうと思われます。現在やや大きめのものを使用しておりますが、一つのグラスの清酒を大勢の審査員が評価しますので、途中でつぎ足す必要が低いものに変更したと考えられます。
以上のようなことで、@については伝統的な仕様がありますが、Aについては専用のものはないと言うのが結論と思われます。
容量がそれなりにあって、色さえ隠せれば良い、という感じですね。これが専用、みたいなものは無いようです。
酒が美味しく出来ると、酒粕はその分不味くなるのではないですか?。
いいえ。単純な足し算引き算ではなく、効率の問題とお考え下さい。
日本酒に美味しい成分が出切ってしまえば、残り物である酒粕はその分不味くなるのでは、という趣旨の疑問を耳にしましたので、ここでハッキリお答えしておきましょう。逆です。
我々が造りにおいて計算する様々な歩合数字があります。その中で、「粕歩合」という数字があります。原料白米1トンあたり何トンの粕が出たか、という歩合です。あと、ここで問題になります歩合に、アルコール収得歩合というものがあります。原料白米1トンから、純粋アルコールに換算して何リットルのアルコールが取れたか、という計算です。ここで挙げました2つの歩合は、相関関係にあります。
粕が少ないということは、その分効率よく原料白米が利用されたことになりますから、酒(アルコール)が多く取れます。逆に粕が多いということは、原料の利用効率が低いことを意味しますので、当然酒(アルコール)の生産量は少なくなってしまいます。
日本酒とは正直なもので、効率を追求して白米の利用効率を上げれば上げるほど、味の方は粗くゴツく香り少なく雑味が多いものになります。換言するならば、白米の利用効率を犠牲にする形の造り(綺麗な味のためのツキハゼ麹使用・最高温度の低め誘導・低温長期醗酵・エトセトラ)を敢行したり、最後の最後までギュウギュウに搾りきらないようにいたしますと、芳香高く味は綺麗で雑味が少ないものになります。
例を申し上げますと、成政の普通酒の粕歩合は大体25%から時には30%弱。純米酒・本醸造酒で35%から40%。吟醸酒で40%前後。これが大吟醸酒・純米大吟醸酒ともなりますと、50%から時には70%近い数字が出てくることもあります。精白度のみならず、こういった効率の上げ下げでも味は大きく変わるのです。
よって、効率を犠牲にし、なおかつ、最後の最後まで搾り切らないで剥がした酒粕は、勿体無いことにも(笑)米の様々な成分は大きく残り、お酒そのものも多く含むことになりますから、質としても上質となるわけです。
参考までに。この粕歩合、近代的な設備や現代科学によって編み出された新手法による造りをいたしますと、10%以下にまですることが可能ということです。こうまでなりますと、酒粕に残るのは米の繊維質くらいのもので、旨みもなにもありませんから、当然売り物にはなりようがなく、産業廃棄物として処分されております。
そんな酒の味の方は、ですか?。多量の活性炭で処理すれば、酔客をケムに巻けるくらいにはなるのでせう。
酒造りの原料米は、削れば削るほど美味しくなると考えてよろしいですね?。
概ねそう解していただいて構いませんが、コトはそうまで単純ではないことも事実です。
「精米歩合」という数字がありまして、お酒のラベルにもしばしば誇らしく載せてあったりします。「純米酒」「本醸造酒」とするには70%以下、「吟醸」と名乗るには60%以下などなど、表示の場面でも規準とされます。消費者の皆様も、なにしろ封を開ける前に買わねばなりませんから、美味しいか美味しくないかを推理する一つの指標として、気になさっているものと思います。
日本酒の変遷と発展は、この「精米歩合」と共に歩んできたものであったと言っても過言ではありません。
元は麹米・掛米両方に玄米を使用していたものが、麹米だけ白米となって「片白(かたはく)」と呼ばれるようになり、さらには両方に白米を使用するに及んで「諸白(もろはく)」と呼ばれるようになりました。そうして、白米を使用して酒を造ることが定着したのです。
水車や「からうす(要するに、足踏みで杵をつく仕組み)」で精米…いや搗精では、頑張っても外側一割しか取れません。それ以上時間を掛けてトントンやっても、米が割れてしまうだけ。米を搗くことから、米の外側を削り磨くことに移って初めて、すなわち精米機の登場を待って、日本酒は劇的な変化をしたと言って良いでしょう。
米の外側には、雑味の元となる蛋白質や脂肪分の含有が高く、内側にいけばいくほど純粋な澱粉質が得られる。澄んだ味わいを得るため米の内側を使用する…この当たり前が可能になったのは、ようやく大正時代の終わり頃か昭和の初めになってからでした。横型精米機が発明され、続いて縦型精米機が開発されるに及んで、ようやく「高精白」が可能となったのです。現代において使用されている最新型の精米機も、原理はこの縦型精米機から一歩も出ていません。勿論、上手に精米するために細部はリファインされ、コンピューター制御されるようにはなりましたが…。
外側を削って、中心部にいけばいくほど、デンプン質の割合は高まります。又、デンプンの構造にしても、粗になっていて麹菌の菌糸が入り込み易くなります。原理的には、お酒の味は綺麗になり、そして、麹も出来やすくなるというものです。
ところが、一方で、中心部にいけばいくほどデリケートになるのも事実。柔らかく脆いということは、水を吸う速度も猛烈に速いということ。精米歩合を下げれば下げるほど、より緻密で繊細な原料処理が要求されるようになります。ここを踏まえないでいれば、高精白をする意味が失われるどころか、醪で蒸米が溶けすぎたり麹が水分過多・柔らかくなったりと、発酵そのものを危険にさらすことにもなりかねません。
すなわち、的確な原料処理がなされるという約束があって初めて、精米歩合を低くする意味が生きてくるのです。やみくもに削れば良いというものではないということがお解り頂けましょう。
あと、米そのものの品質も考え合わせなくてはなりません。
米の等級は、特上・特等・一等・二等・三等と5段階。この規格にすら入らないものは「等外」と呼ばれます。特定名称酒、すなわち吟醸・純米・本醸造の名称を持つ日本酒は、少なくとも等級が付いた原料米を使用しなくてはならないと決まっております。
等級が付いたとして、等級の一段の差を考えてみねばならなくなります。様々なパラメーターがあって、ある一定水準をクリアして初めて各々の等級が付きますが、その中には、割れや死粒に関するものがあります。そういった、いわば不良粒は、精米するとあっという間に壊れて糠になります。そういう不良粒が多い米=等級が低い米と、少ない米=等級が高い米を、例えば各々玄米を1000s精米開始して、600sの白米を得たとしましょう。いずれも、玄米の総重量に対して白米の重量が60%になりましたから、精米歩合は60%ということになります。しかし、これは、「みかけ」上のこと、つまり「見かけ精米歩合」でのお話になります。等級が低ければ、まともに削られずに壊れて糠になる粒が多いわけですから、重量が60%になっていたとしても粒が平均して60%にまで削られているとは言えなくなります。
そこで登場するのが「真精米歩合」です。この場合は、千粒重というものを採用します。玄米1000粒を抜き出して計り、白米も同じく1000粒サンプリングして計って、そうして割合を弾き出すのです。この、「見かけ精米歩合」と「真精米歩合」との差を、「無効精米歩合」と呼び、精米条件が同じであれば米の等級が上がれば上がるほど小さくできます。
特等の米60%精米と、三等の米50%精米…果たしてどちらがよりまともに削られているということになりますのか…?。しかし、数字としては60と50てすから、後者の方が旨い酒に見えますね…。
尚、精米技術が未熟であるというのは論外。これは言うまでもないでしょう…。
精米歩合という数字も、あくまで指標の一つとしてお考え下さい。絶対的なものではありません。
醸造アルコールの添加時期はいつですか?。又、風味がどう変わるのでしょうか?。
醸造アルコールは、搾る直前の段階で添加します。当然、風味は純米酒とは異なります。
ご質問は、純米酒とのからみで頂きました。又、「三増酒」が怖くて、純米酒以外は敬遠なさっているそうです。
繰り返しますが、醸造アルコールは、醪の末期、搾る直前に添加します。3時間前から1日前というあたりでしょうか。
純米酒にやはり力を入れる成政酒造ですが、アルコール添加そのものは、現代日本酒製造の一技術として認めております。江戸時代という頃にも、「柱焼酎」といって焼酎を添加してアルコール度数を上げ、変質に強い酒とする技法があり、アルコール添加自体が全く新しいものとも言い切れません。
使用されるアルコールは、糖分より醸造されて製造されたもので、不純物が大変少ない無味無臭のもの。酒造会社に移入される時は100%に近い濃度ですが、何しろ危険物ですので、すぐに水で濃度を下げて貯蔵されることになります。この時の濃度は、大体30%です。
確かに、アルコール添加は、「三倍増醸法」通称「三増」といって同じ量の原料米から酒を3倍造る方法として、第二次世界大戦の物資不足の中で編み出されました。この緊急避難とも言える方法が、この現代においても変わらず採られていることに、不自然さを覚える方も多いと思います。
現代におけるアルコール添加の意味は、増量にあるというよりはむしろ、香りを引き出し、淡麗辛口傾向に合わせた風合いを出すためと言えましょう。
特に、吟醸酒においては、アルコール添加抜きにはなかなか考えられない面があります。あの吟醸酒の香り、その主成分はカプロン酸エチルと酢酸イソアミルですが、これらは水には大変溶けにくいか、ほとんど溶けないもの。醪では良い香りがしていても、搾ったとたんに粕に香りが残ってしまって酒には残らない、「粕と共に去りぬ」という状態が、アルコール添加によってアルコール濃度を上げることによって大幅に改善されるのです。このことは、全国新酒鑑評会等に出品される出品酒のほとんどが、アルコール添加がなされた吟醸酒であることからも明白でしょう。
又、アルコール添加によって醪がのび、酒ものびるわけですが、それによって風合いが軽めになり、現代の食生活にマッチし易くなることも見逃せません。純米酒は濃くて…と逆に敬遠なさる方もまだまだ多くいらっしゃいます。それに、製造コストが高くなる分がどうしても価格に上乗せされる傾向も見逃せません。
アルコール添加がなされた酒と純米酒の風味の違いです。前者においては香りがより高くなる傾向があり、軽めでサラサラとした感じになり易く、後者においては、原料米の性格や造りの性格の違いがより強く出やすく、個性がより強く出る傾向があると言えましょう。
要は嗜好の問題と捉えていただくとよろしいかと。「純米酒でなければ日本酒ではない」といった意見も巷にはありますが、賛同するわけにはまいりません。
尚、「三増酒」について。
表示法においては、吟醸や純米といった「特定名称酒」以外は全て同じとして、「三増法」を採ったとしても別段の表示が義務づけられてはおりません。
ですが、量が三倍になるということは、米本来から得られた旨味や甘みが三分の一にまで薄まるということ。これでは薄くて辛くて飲めたものではありませんから、アルコール以外にも添加物を加えざるを得ません。味わいについては、日本酒の味の主成分である酸類つまりコハク酸・リンゴ酸・クエン酸・乳酸、そして調味料…ちなみに調味料のカテゴリーで許されているのはグルタミン酸ナトリウムのみ…を補填。甘みについては、水飴やブドウ糖を補填するのです。
醸造アルコールも添加物として表示義務があるくらいですから、酸類・調味料・糖分についても、添加が行われれば表示義務が当然出てきます。糖が添加されれば「糖類」、酸類が添加されれば「酸味料」、グルタミン酸ナトリウムが添加されれば「調味料」と、原材料に表示することが義務づけられております。日本酒の原材料表示も、ちょっと注意してご覧になってみて下さいませ。
吟醸酒の鑑定は蛇の目が底に描かれた「ききちょく」でなく、ガラスのコップ
だそうですが?。
日本酒を審査・評価するとき、色を隠して判断する場合には、褐色グラスを使います。
まずは、日本酒の「色」についてお話をせねばならないでしょう。
仮に…ビールにあの黄金色が、赤ワインにあのルビーレッドがついていなくて、無色透明だったとしたら?。なんとも味気なくなるとは思われませんでしょうか?。
日本酒も、うっすらと、山吹色をしています。これが本当なのです。この色、搾った後の処理工程が無いなら無いほど、又、原酒に近ければ近いほど、強めにあります。又、新酒の時には色は一番薄く、熟成によっても色が強くなっていきます。
成政の大吟醸酒なんぞ、この山吹色が美しく残っておりますよ。又、普通酒でも、よくよく見ればうっすらと山吹色が認められる筈です。
読んで字のごとく「清酒」だからして、色は無い…無色透明である…あたかも水のように…と、これは、言ってみれば近年までの常識であったでしょう。確かに、しっかりした貯蔵設備や管理等(特に低温貯蔵)を望めなかった時代や、酒と言うよりはアルコールが金になった時代、もしくは米の精白度が低かった(精米歩合が高かった)時代には、色があるのは不味さ・劣化に等しかったのは事実です。
このため、搾りと瓶詰との間に、幾種類かの処理がなされるようになりました。その一つが、色を薄くする工程なのです。色の無いのが良い酒、という「常識」に応じたものです。
どのような作業工程も、日本酒の品質を上げるためにも使えれば、いわば誤魔化しのために使うこともできます。同じ化粧でも、薄化粧と厚化粧で大きな違いが出るのと同じ事で、要はさじ加減の問題。処理工程とは製造技術であり、これの存在そのものに問題がある訳ではないのですが…。
安い原料やバラツキのある製品を混ぜて出荷したりするのに、強い味や色を抜くことが出来るというのは大変便利でありました。様々な規制のため、又、世間一般の「常識」の故に、そのような類の処理作業を、誤魔化しのために行わざるを得なかった…そんな時代が長く続いて参りました。これに対する反省がなされるようになったのは、吟醸酒等の高品質酒が多く世に出るようになってようやくのことであったと言えます。
確かに、「老ね」つまりは劣化によっても色が着きます。
日光に当てておいたり、そうでなくても長期間常温・高温下に置いておいたり、はたまた醸造工程において鉄分・マンガン分が入り込んだりすると、日本酒本来の山吹色とは別の色合いを呈する着色が起こります。
きき酒用語に、「アオザエ」というのがあります。日本酒の“正しい”山吹色には、その山吹色の中に碧々とした深みがあるのです。ちなみに、劣化による着色は、全体的に赤・オレンジ色っぽくなります。
最近、成政のような中小の地酒蔵の間では、いわゆる「無濾過」等、搾った後の処理工程を出来るだけ省き、いわば「すっぴん」かそれに極力近い形で日本酒を世に出す動きが広まっています。
これは、精米歩合など原材料にゼイタクをし、低温発酵やデリケートな醪管理など造りにゼイタクをし、瓶詰後の貯蔵管理もしっかり出来るゼイタクな設備と絶えざる注意をもってこそ可能な事。酒を経済的に造って、後の処理によって無難な売り物に仕上げる手口の対極なのですから。
成政でも、この流れに沿って製品を世に出すようになっております。季節商品にこの傾向がより強く出ていますが、レギュラー・ラインナップにおいても、一見、いや一飲?、例年バラツキの無い品質に仕上げながら、上記の方針に立って、少しづつの変化変貌を伴っています。これも、よりよい品質と美しい個性とを求める成政の努力と取って頂ければ幸いです。
長々と来て、では、褐色グラスに戻りましょうか。
色や濁り具合も判定しなくてはならない場合には、従来通りの、底に二重の青同心円が入った「ききちょく」を使用します。一方、全国新酒鑑評会など、もとより着色が進んでいない筈の新酒をきく場合には、色の濃淡が逆に味・風味の判定に影響を及ぼしてしまいかねないのを防ぐべく、敢えて色を分からなくして審査を行います。
審査時に使う容器も、審査のあり方・目的に合わせて選ばれるというわけです。
「ドブロク」と「濁り酒」と『しぼりたて』と『清酒』の違いはどこにあるのですか?。
成政の季節商品『しぼりたて』も、一般的な「濁り酒」も、清酒・日本酒。ですが、「どぶろく」は違います
そもそも、「清酒」もしくは「日本酒」たるべき規準は、酒税法上て決められております。曰く、米・米麹・醸造アルコール・その他認められる原材料を使用して醸造し、濾したもの。案外、曖昧な規準とも言えます。
その「濾す」という作業ですが、一般には目の細かい搾り袋で濾します。よって、日本酒にはごく少量の澱以外には濁りのようなものは発生しないのが普通です。
では、この「濾す」というプロセスを、例えば(あくまで一例として)目の粗い布やメッシュでやるとどうなるか。それでも、酒税法の要求は満たしていることになり、「清酒」「日本酒」となるわけです。
ただ、いわゆる「ドブロク」は違います。その昔、米や米麹を使って家庭で“密造”されていたものを言うのが普通ですから、当然、非合法。酒類としての表示は出来ようがありません。仮に、税務署に申告してそのようなものを醸造するとして(例えば、ドブロクを必要とする伝統的祭礼のため)、扱いは「清酒」「日本酒」とはならず、「雑酒」というものになります。
鑑評会など他の銘柄のものと区別または評価される判断基準はあくまで人間の「舌」なのでしょうか?。
舌と、後は香味の為の嗅覚。人間の感覚器官で評を下します。
味わい方、つまりはその方法論に違いこそあれ、愛飲家の方々におけるのと同様、プロの世界においても最終的な日本酒の善し悪しは人間の視覚・嗅覚・味覚にて判断されます。これを、「きき酒」と言います。
確かに、人間の舌感にはそれぞれ個性があります。それを越えて、その日本酒そのものの善し悪しや特性(好ましい点)もしくは指摘(好ましくない点)をするのがプロの世界。審査を担当なさる国税局鑑定官室やその他機関の先生方は、この点訓練に訓練を積んでいらっしゃいます。その上で、個人の好みが入りにくい採点法・描写法・格付け法をなさることになります。
そのきき酒によって、様々なプロファイル法と優劣の付け方がありますが、結局は総合点。1〜3点を付ける場合や1〜10点を、個別そして総合として付ける、それを総括するという運びだからです。ちなみに、点数の数字が小さいほど評価が良いということをお忘れなく。
点数の他に付けられる特性・指摘は、いわゆる「きき酒用語」によります。「ツワリ香」「木香様臭」のように具体的なものから、「ソフト」「優雅」のように多少具体性に欠けるものも含まれます。このへん、多少個人の好みやクセが介入する余地があるかもしれません。
愛飲家の方々にとっては、「旨い!」の一言で十分なのかもしれませんが、先生方には指導をするプロとしての、そして我々としては造ってお届けする側としての、厳しい「きき方」があるのです。
「旨い酒」が難しくなりました。これが10年前だったら、「吟醸酒=旨い酒」だったのですが…。
おっしゃるとおりだと思います。
冒頭のご意見は、地酒に力を入れていらっしゃる酒販店のご主人から頂いたご意見です。
「吟醸酒」という言葉は、大正時代から使われていたと言います。既に、現在の全国新酒鑑評会の前身とも言える全国清酒品評会が始まっており、銘醸蔵の登竜門として白熱化し始めていた頃に、もうあったということになります。そして昭和の御代に時が移り、現代の吟醸酒造りの基礎である「高精白米」が新型精米機によって可能になり、いよいよその完成度を高めていくことになります。
当時には、いや、ほんの近年に至るまで、「なにをもって吟醸酒とするか」という明確な定義はありませんでした。それは、蔵元と杜氏の名誉を賭けて生み出されるゼイタク極まりない酒であり、場合によっては一般市場には受け入れられないようなくらいの完成度と先進性を持った酒であって、定義や規格なぞ無くとも、自ずと雲の上の酒が醸し出されていたのです。
このような日本酒が市場に受け入れられるようになったのは、つい近年のこと。例えば、現代の吟醸酒には無くてはならないあの華やかな香りも、それまでは「薬臭い」と敬遠されていたといいますから、世の中も変わったものです。そして、世に送り出す側にとっても、近年の優良酵母の開発や設備の拡充、そしてなによりも造りの技術の確立と普及によって、営利を考えざるを得ない企業にとってもちゃんとした「商品」として成り立つようになったのです。
日本酒の級別制度が完全に廃止されたのは、平成の御代に入ってからのことです。『山田錦大吟醸なりまさ』のような日本酒が「二級酒」のカテゴリーに入っていた、などというねじれは、これで一応の決着を見ることになりました。酒税は、級別に代わって、アルコール度数によって税率が定められるようになりました。そして、いわゆる「特定名称酒」というものが、「清酒の製法品質表示基準」によって定められるようになりました。ここで初めて、これこれこうの基準を満たさないと吟醸酒にあらず、というものが明文化されたことになります。
その要件とは…「精米歩合60%以下の白米、米麹及び水、又はこれらと醸造アルコール(白米の10%以下)を原料とし、吟味して製造した清酒で、固有の香味及び色沢が良好なもの」…精米歩合50%以下であれば「大吟醸酒」と名乗ることが出来る等、精米歩合関連と醸造アルコールの添加許容量という数字を除いて、甚だ曖昧な基準ではありませんか。
基準が決まったということは、裏を返すと、その基準さえ満たしていれば「吟醸酒」である、という理論も正しいことになります。基準における具体性に欠けたあたりでは、時に「ウチの吟醸はこうなんですよ」「ウチの吟醸造りはこうなんです」というような強弁?も生まれることになるでしょう。こうして、ある意味、「吟醸酒」が「表示」になってしまった感があります。これでは、ご主人がおっしゃるとおり、「吟醸酒=旨い酒」という公式が成り立たなくなったのも当然かと思います。
辛気くさい、負の面ばかりではないことも、やはり述べておかなければなりますまい。
近年、様々に個性的な味わいの日本酒が世に出てきて、百花繚乱状態になっています。日本酒業界を取り巻く環境が厳しさを増す中、基準にこだわらずに、味わいとコストパフォーマンスで素直に勝負をしている製品の、なんとまあ多いことか!。『成政』のラインナップにおいても、例えば季節商品の『無濾過生原酒』は、精米歩合等のスペックを取れば見向きもされない物かもしれませんが、その豪放な味わいが人気で、お求めになるお客様が後を絶ちません。厳しい状況下でこそ、激しい競争と、多くの工夫が為されるものなのかもしれません。
こうまで選択の幅が広がっては、なかなか旨い酒を選び出すのも大変です。「これも旨いが、もっと自分に合った味わい・風味を持つものがあるのでは…?」と遍歴が尽きなくもなります。「これはこんなふうに旨いが、こっちはこう旨い」という楽しみ方も広がってきて、嬉しい悲鳴をあげなくてはならないのかもしれません。この意味でも、旨い酒を捜すのが難しくなったと言えるでしょう。
生酒の方が美味しいのですか?。
「生」だから美味しい、というものではありません。
夏…ビール…生、みたいな連想が働くためか、ナマの方がフレッシュと思われる為なのか、生酒の方が美味しくて商品価値も高い、という雰囲気が市場にあるような気がします。「夏には生酒」という一種の短絡も含めて、です。それとも、考えすぎでしょうか…?。とにかく、このあたりを考えてみたいと思います。
そもそも、「生酒」とは何か?。
一般的には、貯蔵直前に1回と瓶詰時に1回の計2回、「火入れ」が日本酒に行われます。これは低温殺菌工程であり、60℃から65℃で成されます。これら2回の処理がされていない物を「生酒」といいます。生・生ではない、の違いというのは、これだけのことです。ちなみに、貯蔵直前に火入れをして瓶詰時には火入れをしないものは「生詰酒」、瓶詰時にのみ火入れを行うものは「生貯蔵酒」と呼んで、いわゆる「ナマナマ」とは区別されます。ラベルにはしばしば、大きく「生」とあって続けて小さく(笑)「貯蔵酒」なんてあったりもしますね…。これも、一種の“生信仰”への対応策なのでしょうか…?。
主な理由が2つ。未処理の日本酒に残存する麹由来の酵素成分の活性を失わせるためと、「火落菌」を一掃するためです。これら、製品の安全の為の理由の他、火入れによって新酒の荒々しさや麹臭さ(「麹バナ」といいます)が抜けて、ネットリした感じも消えてキリリと引き締まったスマートさを獲得することもままあると申し添えておきましょう。
主に麹に由来する酵素成分は、日本酒の醸造には欠くことのできないものです。しかし、それが搾られた後にまで残ると、それ以上は進んで欲しくない反応が続いてしまうことになります。
一番困るのが、「生老香(なまひねか)」を発生させてしまうことです。イソバレルアルデヒドという成分がこのイヤな臭いの主な正体で、酵素成分を取り除けば発生しないことから、酵素作用の継続によって出来てしまうことが分かっています。この臭いは、一度発生してしまうと除去するのはほぼ不可能。商品価値は大きく落ちてしまいます。又、吟醸酒のあの香りの主成分の一つ「カプロン酸エチル」を、あろうことか「カプロン酸」に分解してしまう反応にも、酵素成分は荷担します。香りが重い、いわゆる「吟香崩れ」という状態になってしまうのです。
残存酵素成分は味も変えていきます。デキストリンが分解されてブドウ糖が生成されたり、ペプチドが分解されてアミノ酸に変化する反応が継続し、甘みが増したり(「甘ダレ」と呼びます)味がクドくなったりしてしまいます。又、「吟香崩れ」の原因である「カプロン酸」は、苦みや渋みを呈する成分でもあります。
アルコールが存在する環境下では、通常細菌の繁殖は押さえられます。しかし、世には変わり種がいるもので、多少アルコール分が存在した方が活発に活動し、日本酒に害を為す輩が存在します。酒造業界ではこれらをまとめて「火落菌」と呼び、この菌に製品が冒されてしまうことを「火落ち」といいます。「火落ち」した日本酒は、味も香りも大きく変わり、濁りも生じて、程度が軽ければ救済の余地はありますが、もはや商品にはならなくなるレベルにまで達することがあります。貯蔵そして瓶詰で、一番気を付けて防ごうとするのが、異物の混入とこの「火落ち」なのは言うまでもありません。尚、「火落菌」自体もそれによって変化した日本酒も、人体には無害であることをお断りしておきますが。
「火落菌」は10℃以下では活動しませんので、生酒(そして「生詰」された日本酒)は冷蔵庫に、という理由も分かっていただけるものかと思います。
さて。ではどちらが美味いのか、という問題に立ち返ってみましょう。ある意味一長一短で、酒質や風味の傾向・性格によって千差万別なので、「生」だから美味しい、とは言えないワケです。
酵母の性格と言うか酵母が生成した芳香成分のバランスによっては、火入れによって崩れてしまう場合があります。又、火入れによって変化する前の風味にも魅力があることは確かです。この場合は文句ナシでありましょう。又、火入れ直後の日本酒には「火冷め臭」という臭いがしばらくある(消えるには普通は1週間から2週間、しかし吟香のような繊細な香りが旧に落ち着くには1ヶ月は必要でしょうか)ことを付記しておきます。
しかしながら、残存酵素成分のワルサという大問題が。酵素成分の働きは、低温になればなるほど弱まります。よって、蔵から旅立つまではなるべく品質に変化が無いようにと、『成政』では冷凍庫にて−2℃以下で氷温貯蔵をしております。ですが、いかに低温であろうとも、動きはゼロにはなりません。シビアな判断を下す国税庁の鑑定官室の先生は、氷温貯蔵であっても3ヶ月が生老香を出さない限度ではないかとおっしゃっておられました(しかし、マスキング効果といって、少々の生老香は他の香りが強いとそれに隠されてしまうので、現実にはそこまで気にする必要は全く無いと言えますが。又、麹の造り方いかんによってや酵母の選択によって、生老香が出やすくなったり出にくくなったりもします)。一方で、酵素成分の働きが止められている日本酒(火落ちによる変質を避けるため要冷蔵には違いないものの、「生詰」された日本酒も含めて)は、低温もしくは常温による熟成を進めることが出来ますが、氷温下では熟成もほとんど進まなくなってしまいます。つまりは、いつまででも若々しい風味と味が保たれやすい反面、熟成による脱皮を期待できないとも言えるのです。
このあたり、個々人の好みの問題もあります。生か火入れか、どちらがどうと言い切れませんので、それぞれをそれぞれにお楽しみ頂ければと思います。尚、全国新酒鑑評会に出品される日本酒は、火入れ済みのものが大半であることを付記しておきます。
余談になりますが、酵素成分のような小さな物質すら濾し取ってしまうえる、限外濾過装置なるものが存在しております。ただ、味の成分もかなり取られてしまう上に、猛烈に高価な設備ですから、中小の地酒蔵にとっては問題外のお話かと。これを通せば、残存酵素成分のワルサについてだけは考えなくても良くなるのでしょうが…。
仕込水や割水用の水は、煮沸消毒しているのですか?。
お答えします。「していません。」
煮沸ということは、煮沸消毒、ということですね。雑菌がいては、それを消費する方々にとっては大問題ですし、発酵という微生物による作用もて造る日本酒にとってもマズいのでは、ということでのお話と承りました。
『成政』で引いている、通称「鑓の先の水」は、湧水とは申せ、そのへんの田圃の脇からいきなり出ていて普通に川をなしている、というものではありません。第一に、医王山の地層が天然のフィルターの役目を果たし、水源付近には水を汚染する家畜類が放されていることもありません。第二に、この規制大国ニッポン、保健所が水質検査を怠るわけが無く、それに引っかかったならば当然使用もできなくなります。「鑓の先の水」は、当然、飲用に適するとのお墨付きをちゃんと頂いているのですから。第三…引かれている水をナマのまま使用しているわけではなく、1ミクロンという微細な孔を持つ高分子フィルターを通してから仕込にも割水にも使用しております。煮沸という荒手を使わずとも、全く問題はございません。ご安心の程を。
この自然界には、特別な人工的空間…例えば、無菌室…を除いて、常に雑多な種類の微生物が存在します。その内の殆どが、人畜無害なものです。
日本酒造りにも、麹菌というカビの一種と、酵母菌という微生物が係わります。その他、例えばペニシリンの発見、例えば日々食卓にある漬け物、微生物による発酵作用無しには考えられないものが多々あります。我々人間は、微生物との共存共栄を果たしてこそ、自然界における一員たりうるのです。
さて、日本酒の造りに目を向けますと、麹菌の造り出す酵素と、酵母菌以外には、必要がありません。いや、それ以外があっては困るのです。このための、「酒母」であり、「三段仕込」…必要な微生物だけを選抜するように育て増やしてやることが大切。この微生物の世界、ある意味人間社会と似ておりまして?、異端の少数派は保守本流の多数派に圧されて淘汰されてしまうというのが宿命。安全確実に酵母菌を拡大培養する手段と方法を取れば、開放発酵により物品がいかに空気中の雑菌と接触していようとも、そんな多少の数の雑菌など圧倒的な数の酵母菌の前には全く無力で、それこそあっという間に淘汰されてしまいます。淘汰されなければ、それはそのまま造りの失敗…最悪、腐造…につながりますから、酒がちゃんと出来ていれば、そこには酵母菌以外のいかなる雑菌も生育していない、淘汰されてしまっているということになります。
繰り返しますが、目的の微生物のみを選択的に増殖させ働かせることが、日本酒造りにおける「技」なのです。
話を水に戻しますが、戻そうとすればするほど、話が「環境問題」へと移行していきます。もし、水に有害なもの、例えば重金属類や化学物質が含まれたら?。これこそ、煮沸しても全く変化しないもの。その水のそれら成分は、直接的に健康を脅かします。産業廃棄物の不法投棄は言うに及びません。「家電リサイクル法」施行に伴い、たかが数千円か1万いくらのお金が惜しくて、山に不法投棄をする輩が全国的に出ています。しっぺ返しは、じわりじわりと、しかし確実に、我々に戻ってくるのです。そうでなくても、山々に緑がなくては、山が水を蓄えることが出来なくなり、水質も水量も低下します。
旨酒の透明さのなかには、我々の生活や今後を考えるための問題提起が、いくつもいくつも詰まっているのです…。
さらにさらにお待ちしています。ウズウズ、しています。
どしどし、ぶつかってきて下さいませ。