このお堂は明治の初期に建てられたものです。爰に奉られている仏さまは金毘羅大権現で,、恭しく其の本願を尋ね奉るに、御本地は、普門万徳の覚体三世常住の大日如来にましまして、常に密厳浄土に法爾無作の説法を成し給う御仏なり。然るに四身まします、その中に仮に変化身と現れ、如来成道の初めより、涅槃に到るまで、常に如来に随順して、説法利生の化を助け、神変無窮の応用を無し給ひし善神なり。国土は浄瑠璃浄土に住す。或いは、十二神将に宮(倶)毘羅大将と現れて、薬師如来の教化を助け、如何なる業病・難病も悉く治したまう、されば現世にあっては、火難・水難・刀難等、七難を初め、凡ゆる悪病憂苦をも速やかに退散せしめたまう。特に航海漁猟を業となす者は、常に此の金毘羅大権現を念ぜば、必ず漁者の利運を圓満ならしめ、或いは風雨怒濤の為、特に漂流沈没せんとする急難も、一心に名号を唱うれば、立ち所に其の難を救いたまうこと、更に疑いなく、古往今来その霊徳を蒙りしもの数ふるに邊あらず。
他の参考文献によれば、金毘羅様は、むかし、お伊勢参りと金比羅様のお参りは大変なもので、ことに金毘羅様は船に乗る人々の信仰をあつめていました。金毘羅様は、いまは金刀比羅宮として神社となり、大物主神(大己貴命)崇徳天皇を祭神として祀ってありますが、もとは真言宗の松尾寺の守護神で金毘羅摩蝿魚夜叉大将を祀ったのが始まりです。海上安全の神様として漁民や海運業者に広く信仰され、ことに船を新しく造ったときに金毘羅参りといって、かならず参拝をすることになっていました。金毘羅さまはインドのクムビーラを漢字に写したもので「金毘羅」「宮毘羅」「軍毘羅」などとも云われています。金毘羅は、じつはインドのガンジス川こ住むわにを神格化したもので唐でも蚊龍といっています。仏教に取り入れられて守護神となり、ことに薬師如来の眷属である十二神将の一人で般若守護の十六善神の一人にも数えられています。
お経には「薬叉大将宮毘羅はその身黄色にして宝杵をとり、七億の薬叉衆を主領し、誓願して如来の教えを守護す」と、夜叉を統率する大将としてあがめられています。また「金毘羅童子威徳経」によると、梵天の刀利天の歓喜園の中で身長千尺、千の頭と千の胃をもった金毘羅童子の形をあらわして魔王を懲らしめ、人々を三途の苦しみから離れさせる、世間の大医王で詞梨勒果で色々の病を治療すると云われています。しかし、あるお経に「金毘羅摩燭魚夜叉大将」とも訳されているよう、わにを神格化した神様としたところ、やがて海上安全の神として崇められるようになりました。
金毘羅堂