さて塔とは、インドの言葉ストゥーパの音写で、インドでの原意は、塚、墓である。釈尊が入減され、遺骨を八大国に分けて、八塔を建造した。その塔は墳墓の形をしており、遺骨を地下に埋め、土饅頭をつくったものである。インドは熱帯地方であるので死者が暑がるというところから墳上に日除けの傘を立てた。これが仏塔初期の形体であった。この形体が後になると、土饅頭の下に基壇をつくり、その基壇が次第に壇を重ねて高くした。墳上の日傘も幾つも数を増していった。本来のストゥーパの形が中国に伝わると、中国本来の楼閣建築の影響を受けて、基壇が重層塔の屋根になり、塔本体である土饅頭の形は伏鉢として、その上に祀りあげられて、沢山あった日傘は一本の竿にまとめられて、相輪となったといわれる。塔の根本であった土饅頭形の伏鉢を主に発達したのが、宝塔、多宝塔、卵塔である。墳上の日傘を主にして発達させたのが相輪塔である。目傘を支えた柄頭を中心として発達したのが宝篋印塔で、三重塔、五重塔、七重塔、十三重塔の例がある。石で作った塔が石塔で、十三重石塔では奈良の般若寺、宇治川の塔が有名である。
平成14年住職が境内前広場に十三重石塔、五重石塔を建立しました。