白い森
○●第8話●○





* * *



 翌朝、礼拝を終えたフィリアは、父ディランの泊まる客室に向かって歩いていた。 昨晩遅くまでクラウスを交えて3人で話をしたが、まだまだ話したい事がたくさんあった。
 洗礼で王都へ行った時は、10年ぶりの再会だったにも関わらず、ほとんど話をする事ができなかった。
 できる事ならば、もっともっと一緒に居たい。だが、 今日の午後には王都に戻ると聞いていた。口には出さないが王都も今、大変なのだろう。それなのに 子供たちの身を案じ、遠く離れたこの神殿まで駆けつけてくれた事が 本当に嬉しかった。

「フィリア……」 廊下で呼び止められ、フィリアは 足を止めた。
「おはようございます、アーロン様」
「おはよう。少し話をしたいのだが……」
 そう言うと、アーロンはたまらず視線をそらした。 彼女の反応が怖いのだ。もし 拒絶されたら……と。
「はい。よろしければ、私の部屋へどうぞ」
 その答えにホッと胸を撫で下ろし、 視線を戻す。目の前の彼女の笑みは、以前と何ら変わりないものだった。

 部屋に戻ると、ちょうどレナがお茶の準備をして待っていた。礼拝から戻る時間を見計らって いたんだろう。 椅子に腰掛けていたクラウスは、アーロンの姿を見るなり不快そうに眉をしかめた。
《魔族……》
 アーロンはその場に凍りつく。自分のせいでフィリアを危険な目に合わせて しまった。彼はその事を許してはくれないだろう。
「座って座って」
 フィリアは気にした様子もなく、アーロンの手を引いて椅子へと案内した。クラウスの向かい側に……。 その様子を見ながら、クラウスはますます不機嫌になる。
「いや、しかし……」
「いいから!」
 フィリアに促され、アーロンはおそるおそる腰掛けた。
 お茶が注がれたティーカップは2つ。レナは、1つをフィリアに、もう1つをアーロンに差し出す。 それを見たクラウスは、今度はレナを睨みつけた。この邪魔者さえ来なければ、彼が飲む筈だったのだ。
「御用があれば、お呼びください」
 レナは嫌がるクラウスを力ずくで引っ張り、部屋を後にした。

「本当にすまなかった」
「あ、頭を上げて下さい。アーロン様に謝って頂く事なんて、何もありませんから」
「いや、私のせいであなたを危険な目に合わせてしまった事は事実だ。 許して貰えると思ってはいないが、どうしても謝っておきたい」
 深々と頭を下げたアーロンの声は、わずかに震えている。
「どうか頭を上げて下さい。私の方こそ、クラウスの事をアーロン様に伝えて いなかったのですから」
 彼女はアーロンの右手をそっと両手で包み込んだ。
「それに、私はこうして生きています」
「しかし……」
「アーロン様は私を心配して、王都から駆けつけてくれたのですよね。本当に嬉しかったです。 それに、この神殿を守れたのも、アーロン様が来て下さったおかげです」
 アーロンがゆっくり顔を上げると、目の前のフィリアは先ほどと同じように、穏やかに微笑んで いた。
「私はいつでも駆けつけるよ。お前は私の大切な…大切な妹だから」
 アーロンは立ち上がると、フィリアを強く抱きしめた。
(兄弟であろうとも、大切な人である事に変わりはない。これからもずっと……)

 その日の午後、ディランとアーロン達一行は王都へと戻って行った。 今回の襲撃の指揮をとったガウルとその仲間達も一緒に。

 フォークスを含めた数名の騎士達は、引き続き神殿に残る事となった。 今後、再びフィリアの命を狙う者が出てこないとは限らないからだ。
 数日中には、王都から100名の兵士がこの白い森の神殿に派遣される事になっている。
 当初、ディランは500名の兵士を派遣すると言ったのだが、フィリアがそれを断った為だった。 親ばか過ぎると笑って……。





 中庭にある噴水の縁には、フィリアとクラウスの2人が腰掛けていた。 日は沈み、 木々の隙間から差し込む月明かりが薄っすらと2人を照らし出している。
 神官達はすでに自室に戻っているのだろう。先ほどから、 廊下を行き交う者の姿は殆ど見られない。一昨日の襲撃が嘘だったかのように 静まり返っていた。
 2人は30分ほど前からこの場所にいるのだが、どちらも押し黙ったまま時だけが過ぎていた。
 静寂の中、先に口を開いたのはクラウスの方だった。

「本当に良かったのか」
 その問いに彼女は小さく頷く。
「もう決めたの。決心は揺るがないわ」
「そうか……」
 1度決めたら、決して揺らぐことはない。彼女の真っ直ぐな性格は、クラウスも よく分かっている。それに、彼女自身で決めた事なのだ。
「クラウスはずっと一緒よね?」
 フィリアは隣に座るクラウスを、真っ直ぐに見つめる。
 2人が白い森で再会してから、すでに1ヶ月余りが経過していた。
 その間、彼はいつも穏やかな瞳で自分を見守っていてくれた。どんな時でも ずっと傍にいてくれた。だからきっと、 これからも ……。
 だが、フィリアは改めて尋ねた。
「お前はどうしたい?」
 クラウスから返ってきたのは、問いかけだった。その穏やかな表情はいつもと変わらない。
「私はクラウスと一緒に居たい」
「だが、魔族である俺がこのまま一緒にいれば、お前に迷惑をかける事になるだろう。 お前を苦しませるぐらいなら、俺はお前から離れる事を選ぶ」
「……」
 この1ヶ月余り。周りの者達の優しさで、 2人は一緒に居る事ができた。 その事は、フィリアもよく分かっている。
 人間…それも聖なる乙女である自分と魔族であるクラウスは、本来ならば敵対すべき存在。 2人がこのまま一緒にいるなど、許される筈がないのだ。
 それでも彼女が望むのならば、クラウスは ずっと傍に居てくれるだろう。 彼は今までも、同胞を裏切り、肉親を傷つけてまでもフィリアの傍に居る事を 選んでくれたのだ。

 ――――お前はどうしたい?

 その問いの答えは、彼女がこれから進む道を選んだ時から、すでに決まっていた。
 父親やレナを想う気持ちとは別の感情。それに気づいたのは、つい先日の事。彼がランシスとの 戦いで胸を貫かれた瞬間だった。クラウスが自分にとってどれだけ大切な存在であったのかを思い 知らされたのだ。
 思えば、あの日……あの森の中で初めて出会った時。すでに自分は、彼に恋をしていたのかもしれない。 彼の微笑を見た瞬間から。
 そして、彼が魔族だと知った後も、その想いが変わる事はなかった。

 フィリアはうつむいたまま、クラウスの腰に両手を回す。そして、強く…強く抱きしめた。
「それでも、私はあなたと一緒に居たい」
「フィリア、いいのか?」
 彼女はクラウスの胸の中で小さく頷いた。
「ならば、お前の命が尽きるその時まで、決してお前の傍を離れないと誓おう」
 フィリアは再び、小さく頷く。
「愛している、フィリア」
 柔らかな金糸の髪を撫でながら、フィリアの耳元にそっと囁く。胸元にうずめた彼女の目からは、 温かな涙が溢れ出した。
「私も……クラウスを愛している」

 月明かりの下、2人は静かに口付けを交わす。
 それはまるで儀式のように神聖で、美しい…美しい光景だった。




* * *





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