白い森
○●第1話●○





* * *



 レナはフィリアを庇うように、男の前へと歩み出た。
「フィリア様に手出しはさせん!」
 彼女は全身の震えを振り払うように叫ぶと、剣を構える。
「人間……お前には何の興味もない」
 そう言うと男は、レナに向って手をかざした。 その瞬間、紫色の光の刃がレナへと突き刺さる。 刃は彼女の左脇腹を大きく抉(えぐ)った。
「キャァ―――」
 レナはそのまま、前のめりになって地面へと倒れ込んだ。
 フィリアは彼女へと駆け寄った。わずかに心臓は動いているものの、既に意識はない。
 その傷を癒す為、フィリアは傷口へと手をかざした。 聖なる力が彼女を包み込んだ瞬間、男によって遮られる。
 発せられた光の刃は、フィリアの右腕をかすった。彼女は痛みに顔を歪めたが、 声は上げなかった。
「聖なる乙女よ、お前は泣き叫ばないのか。無様に命乞いでもすれば、楽に死なせてやるぞ」
 そう言って男は、鮮やかに微笑んだ。いや、これを笑みと呼ぶのだろうか。残忍で…… 凍りつくようなその顔を。

 フィリアは右腕から流れる血を抑えながら立ち上がった。彼女は 目の前の男を真っ直ぐに見据える。全てを見通すかのような、澄んだ瞳で。
「今すぐ引きなさい。さもなければ、容赦しません」
 恐れの無い、凛とした声だった。彼女の周りを、聖なる気が覆っている。
「強がりを。気の強い女は嫌いじゃないが、いくら美しくても、人間などに興味はないな」
 男は吐き捨てるように言うと、フィリアの後ろで待機していた妖魔達に合図を送った。 妖魔達は、待ち詫びたように歓喜の声を上げる。 獣の雄叫びのような、背筋の凍りつく声。
 妖魔達は一斉に、フィリアへと襲いかかった。次の瞬間、引き裂かれたような悲鳴を 上げたのは、妖魔達の方だった。9体残っていた内の5体が塵となって消えていく。 後方で見ていた残りの妖魔達が、本能で後ずさった。
「ふん、それが聖なる力か……。妖魔程度の雑魚には、 聖なる乙女に触れる事もできぬという訳だな」
 男はスッと右手を上げた。すると、残っていた妖魔達の体が、 空中で無残に破裂する。その肉片の一部がフィリアの顔へとかかり、 彼女は思わず小さな悲鳴を上げた。
「魔族である私に、聖なる力は通じんぞ」
 男はゆっくりとフィリアに歩み寄る。彼女は恐怖に震えながらも、 目の前の男を睨みつけた。
「私を殺して神殿を破壊するつもりね」
 彼女から発せられたその言葉に、男は小さく笑う。
「それは考えていなかったな。望むなら、そうしても構わんが?」
 フィリアが唖然とした表情を浮かべる。
「お前を襲ったのは、単なる暇つぶしだよ。あまりに長く生きていると、 毎日が退屈でね。聖なる乙女っていうのを殺すと、人間共がどんな反応をするのかと思ってな」
 男はその整い過ぎた顔で、鮮やかな笑みを浮かべた。 しかし彼女は、それを美しいと 感じなかった。美しい笑みというのは違う……そう、遠い昔にどこかで出会ったような あの……。
「死んで貰うぞ」
 男の手から紫色の閃光が輝く。

「おじさん――――!!」

 彼女は力いっぱいの大声で叫んだ。
「最後の言葉がそれなのか? 聖なる巫女よ」
 男は小さく笑うと、その刃をフィリアへと向けた。……瞬間だった。

「誰が《おじさん》だ。ちゃんと名前を教えておいただろ」

 背後からの届いたその声に、男はゆっくりと振り返る。 すると、先程の自分と同じように、空間が歪み始めた。

 現れたのは、この世のあらゆる美を極めたかの如き美貌の青年であった。
 邪魔にならない程度に切られた、漆黒の髪。この男もまた、黒で統一された服装 をしているが、血のように赤い両目だけが色彩を放っていた。
「誰かと思えばお前か、ギレン」
 赤い目の男に睨まれ、ギレンと呼ばれた男は小さな悲鳴を漏らす。
「くっ…クラウス様! なぜあなたがここに!」
 ギレンの問いに、彼は冷たい微笑を浮かべる。
「約束したからだ。そこの少女とな」
「約束……あなたが? 人間などと、一体どんな約束をされたというんですか」
 クラウスと呼ばれた青年は、後方でぼんやり見つめているその少女へと視線を向ける。 目が合ったフィリアは、 ビクリと体を強張らせた。今自分は、妖魔までも恐れる相手を目の前にしているのだ。
「また会おう……と」
 そう言うとクラウスは、一瞬だけ穏やかな笑みを浮かべた。それを見たギレンは、信じられない ものを見たかのような表情を浮かべる。
「お前には、フィリアを傷付けた罪を償って貰うぞ」
 クラウスは、血の様な赤い瞳でギレンを睨み付けた。
「お、お許し下さい……どうか! 知らなかったんです…… まさかあなたとこの娘が知り合いだったなどと ……」
 ギレンの美しい顔は、恐怖で歪んでいる。
「もう十分過ぎる程生きただろう? 未練はあるまい」
 クラウスは右手を男へとかざした。その瞬間、鮮やかな…鮮やかな紅蓮の炎が、 ギレンの全身を包み込む。決して消す事のできない、意思を持った炎。
 肌を焼く匂いが、辺りに広がっていく。
 フィリアは少し離れた場所から、目を見開きながらそれを見つめていた。 恐怖のあまり、声も出せないままに……。

「ギャアァッ」
 最後の悲鳴が発せられた後、炎と共にギレンの体は跡形も無く消え去っていった……。
「せめて火葬にしてやっただけでも、ありがたく思え」
 クラウスは何もなくなった空間に向って、吐き捨てるように言った。
 彼は、まるで何事もなかったかのように、フィリアへと歩み寄る。
「間に合って良かった」
 ついさっき同族を1人葬ったとは思えない程の、 穏やかな微笑みを浮かべる。遠い昔に出会った、優しい…優しい笑み。 フィリアから、次第に先程までの恐怖が消えていく……。
「本当にあの時のおじさんなの? 全然変わってない……」


* * *





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