|
翌日の朝早く、一行は町を出発した。フィリアはまだ少し眠いのか、 馬車の中でウトウトとしている。 1時間もすると、窓の外から暖かな日差しが射しこんできた。 いつの間にか眠っていたフィリアは、ようやく目を覚ますと、大きな欠伸をする。 「ふあぁ」 向かいに座るクラウスの視線に気づき、真っ赤な顔でうつむいた。 それを見ていたレナは、クスクスと笑い出す。 「このまま行けば、明後日の昼頃には神殿に戻れそうですね。道中何もなければ、ですが ……」 レナが言い終えた直後、クラウスの表情が変化する。彼は窓の外へと視線を移した。 レナとフィリアも同じように外を見たが、特に変わった様子はない。 「絶対に馬車を止めるな。すぐに戻る」 そう言うとクラウスは、その場から姿を消した。残されたフィリアとレナは、 ハッと顔を見合わせる。 「まさか!」 馬車から少し離れた場所。しかしそこは、明らかに別の空間の中だった。 足元には地面の感覚があるが、それ以外は何もない。 四方には、どこまでも続く闇だけが広がっている。 その暗闇の中で、うっすらと赤い光を纏っているのは、クラウス。その顔には、 何の表情も浮かんではいない。目の前の空間を、静かに見つめていた。 「出てこい」 クラウスの声に、視線の先から1人の男が姿を現した。纏う光は……眩い金色。 「お前が自ら出向くとはな、ランシス」 「どれだけ刺客を送ったところで、お前に敵う者などいないからね」 そう言うとランシスは、小さく笑った。鮮やかな・・・美しい微笑み。 クラウスとランシスは良く似ているが、纏う光とその雰囲気が明らかに違っていた。 「もっとも、私もお前には勝てないのだけどね」 「……だったら何の用だ」 「愛しい弟のお前の顔を見に来ただけだよ」 ランシスは、優雅な動作でクラウスに歩み寄る。 「お前が今すぐ私のものになるというならば、あの娘を殺すのを止めてやってもいい」 「……っ!」 クラウスの表情が変わる。 空間を転移しようとした瞬間、ランシスによってそれを遮られた。 ランシスは彼の手を掴み、引き寄せる。 クラウスが馬車から離れて、わずか5分余り。たった5分でも、魔族には十分すぎる時間 ・・・・・・。 「離せ! さもなくば、この場で殺す」 「構わんよ。どちらにしても、もう間に合わない……」 フィリアは馬車から降り、辺りを見渡した。レナは腰の剣に手を伸ばす。 護衛の騎士達は、彼女達のその様子から、ただ事ではないと悟る。彼らはフィリアの周りを 取り囲み、剣を構えた。 予想の通り、目の前の空間が歪み始めた。考えるまでも無い・・・それは、魔族の出現である。 「みんな下がっていて! レナ、その剣を私に貸して」 「え?」 フィリアは真剣な表情で、レナの剣を奪い取る。そして目を閉じた。 彼女の全身を真っ白な光が包み込む。それは巫女の力とは違う、もう1つの・・・王家の力。 「おっと、聖なる乙女自らがお相手とは。なんと気前のいい」 空間から姿を現したのは、漆黒の髪を1つに結んだ美しい青年……魔族。 その瞳の色は、深い緑色をしていた。魔族の瞳の色は、どれも宝石のように美しく、 見るものを魅了する。だが、凍りつくように冷たい……本物の宝石と同じように。 「クラウス様が執着なされていると聞くから、どんな美女かと思っていたら…… まだ少女ではないか。クラウス様も何を好き好んで」 嘲笑うかのような表情で、男が呟いた。男の一言に、レナが眉をしかめる。 「フィリア様は誰よりも美しいのよ! 魔族風情が、黙ってらっしゃい!」 レナが叫んだ。まさに命知らずなその言動に、フィリアでさえも目を丸くする。 2度も死にかけた彼女が、魔族の恐ろしさを忘れている筈がない。 しかしレナは、クラウスと長くいた為に、魔族には随分と慣れてしまっていた。 自分の命よりも、主君を貶(けな)される事の方が耐えられなかったのだ。 「どうやら、お前から死にたいようだな……」 魔族の男は、その美しい顔を歪ませる。しかし睨み付けるその目も、 クラウスに比べれば恐ろしくはない。レナの体からは、いつの間にか恐怖は消え去っていた。 「うん! 人間にしては、上出来な啖呵(たんか)だよ」 何もない空間から、別の声が聞こえてきた。それも、この場には不釣合いな程、能天気な言葉で。 魔族の男、フィリアとレナ、護衛の騎士達は、声のした空間へと視線を向ける。 現われたのは、昨日のジェガールという青年だった。燃えるような赤い髪は風になびき 、金色の目を細めている。そしてフィリアとレナに向かって、にっこりと微笑んだ。 あの、人懐こい笑顔で。 「ジェガール! 貴様……何しに来た」 魔族の男の顔が強張る。いや、その表情は……恐怖だろうか。 目の前でニコニコと微笑む青年の出現に、明らかに怯えている。 「あーあ、面白くないや。君かぁ、カッシュ。ランシスの腰巾着」 ジェガールは、彼女達に歩み寄る。そして、まるで庇うかのように、 彼女達の前に立った。 「お前がなぜここに居る!」 カッシュは震える声で叫んだ。その顔は恐怖に歪んでいる。 「なぜって言われてもねえ。君の大将がクラウスを捕まえている間、彼女達に何かあったら クラウスが悲しむでしょ? だから、代わりに助けに来たんだよ」 フィリアとレナからは、ジェガールの背中しか見えない。だから、気がつかなかった。 彼のその顔にはもう、人懐こい笑顔は消え去っていた。それは残忍で恍惚な・・・鮮やかな笑み。 「どうする? 任務を放棄すれば、君はランシスに殺される。僕と戦うかい?」 「そ、それは……」 カッシュの顔には、焦りと恐怖が浮かんでいた。 どちらを選んでも、彼には”死”しか残っていない。 カッシュは両手をジェガールにかざす。瞬間、眩い緑の閃光が、 ジェガールに向けて降り注いだ。真後ろに立っているフィリアとレナは、思わず目を閉じる。 しかし、光は彼女達に届く事はなかった。恐る恐る目を開くと、ジェガールの目の前に、 大きな光の壁が立ち上がっていた。それは、薄く金色に輝いている。 どうやら魔族の使う力は、その瞳の色と同色であるらしい。 「ムダだよ。君ごときの攻撃じゃ、僕には効かない」 ジェガールのその声は、今の状況を心底楽しんでいる。オモチャを与えられた子供のように、 声を弾ませて。フィリアとレナは、昨日のクラウスの言葉を思い出した。 「くそっ!」 カッシュは攻撃を止めない。その壁に向かって、次々と光の刃を投げつけてくる。 それは大きな爆音を立て、壁にぶつかって消滅していく。 真後ろで様子を見ていた騎士達は、恐ろしさに目を見開いている。人間が敵う筈が無い。 魔族の力の恐ろしさを目の当たりにして、ただ固まっているしかなかった。 「単調な攻撃だなあ。そろそろ飽きてきたし、こっちから行ってもいい?」 そう言うとジェガールは、軽く右手を上げた。一瞬、金色の眩い閃光が輝く。 「ギャアァ」 耳を覆いたくなるような悲鳴が響いた。見ると、カッシュの体は全身を切り刻まれていた。次の 瞬間、 血が噴水のように吹き出す。それでもまだ、彼は生きている。それを見たフィリア達は、 小さな悲鳴を洩らした。 「まだ生きてるか。さすがは魔族での中でも中位なだけあるね」 言い終えると彼は、もう1度手を高く上げた。するとカッシュの体は、 砂のようにサラサラと崩れていった。砂は風に乗って流されていく。 そしてその場には、何もなくなった・・・・・・。 |