白い森
○●第3話●○





* * *



 アーロンとフィリアの2人は、庭園をゆっくりと歩いていた。 月明かりに照らされた夜の庭園は、昼間とは違う神秘的な美しさがある。

「フィリア殿は、生涯を神殿で過ごす事について、不満はないのでしょうか?」
「そうですね、窮屈は窮屈です。実は小さい時に一度だけ、脱走した事もあるんですよ。 あっ、この事は 絶対に内緒ですからね」
 そう言うとフィリアは、にっこりと笑みを浮かべた。予想もしていなかった答えに、 アーロンが目を丸くする。 恐らく彼はフィリアの見た目から、慎ましやかな女性だと思い込んでいたのだろう。
「えっと……明日洗礼が終われば、神殿の方に戻られるのですか?」
「はい。巫女が長い間、神殿を空けるわけにはいきませんから。 明日の午後には立つ事になっています」
「そうですか……」
 アーロンは少し寂しげな顔で微笑んだ。しばらくして、思いついたように口を開く。
「もしフィリア殿さえ宜しければ、 神殿の方にお伺いしても構わないでしょうか?」
「もちろんです。是非、お待ちしていますね」
 兄であるアーロンに会えるのは、フィリアとて嬉しい。彼女は無邪気な気持ちで そう答えたのだが、彼の気持ちは彼女とは違っていた。しかしフィリアには、 分かる筈もない……。
「アーロン様、国王は……あなたのお父様は、どのような方なのですか?」
「父ですか? 優しく…そして、誰よりも強い方です。私は心から尊敬していますよ」
「そうですか……」
 彼の答えに、フィリアは穏やかな笑みを浮かべた。

「そろそろ冷えてきましたね。お部屋までお送りします」
 その時だった。アーロンは背後から鋭い視線を受け、ハッと振り返った。そこには、 圧倒的な美貌と闇を纏った、1人の青年が立っていた。この男は本当に人間なのだろうか?  男の恐ろしいまでの威圧感に、アーロンは剣に手を伸ばす。
「クラウス! またそんな怖い顔して……」
 フィリアはクスクス笑いながら、男の方へと歩いて行った。次の瞬間、 男の顔が穏やかなものへと変化する。
「お前がなかなか帰って来ないからな。心配で探しに来てみれば、このような所で男と2人…… 」
 言いかけたところで、フィリアに睨まれて言葉を止める。
「アーロン様、それでは失礼します。楽しいお話をありがとうございました」
 にっこり笑うと、フィリアは小さくお辞儀をした。美しい金糸の髪が、ふわりと揺れる。
「はい、こちらこそ……」
 アーロンはぽかんとした表情で、2人を見つめていた。
 月明かりに照らされたフィリア とクラウスは、まるで夢の中のように美しかった。
 2人はそのままアーロンに背を向け、王宮へと戻って行った。


「お前は隙がありすぎる」
 クラウスからの一言に、フィリアは不思議そうに首を傾げた。
「だって、彼は私の兄なのよ? やっぱり嬉しいじゃない」
「お前は何も気づいてないんだな。そういう奴だとは知っていたが、あの男も俺も 可哀相に……」
 クラウスは大きなため息をついた。 彼女はその言葉の意味が分からず、首を傾げたままである。
「まだこの城の者達は、お前の出生について知らされてないのだろう?」
「うん……」
 そこで会話が途切れ、2人はフィリアの部屋の前へと辿り着いた。
「……っ!」
 クラウスは突然、フィリアの細い体を抱き寄せた。そして、包み込むように優しく抱きしめる。
「えっと……クラウス?」
 抱きしめられたのは初めてではない。だが今は、なぜだか心臓が激しく音をたてていた。 その音がクラウスにも聞こえてしまうのではないかと、彼女は真っ赤になる。
 フィリアを抱きしめる腕は緩く、解こうと思えばいつでも解ける。しかし、できなかった。 フィリアはそっと、目の前のクラウスの顔を見上げる。彼のその顔は、 少し悲しそうに微笑んでいた。
「約束したからな……お前の父親と。何があっても、俺がお前を守ってやる。俺は決して、 お前の側から離れたりはしない」
「うん。……ありがとう」
 フィリアの目から涙が溢れ出す。クラウスの体は、人間に比べると体温はほとんど 感じられない。それなのに、なぜだかとても温かかった。


* * *



 翌朝、フィリアは巫女の正装に着替えた。白以外は一切の色彩を持たないその衣装は、 フィリアの美しさを一層際立てている。

 聖なる乙女の洗礼は、王宮の庭園の中央にある、小さな神殿で行われる事になっていた。 その場所は、およそ15年に1度しか使われる事はない。 神殿の周りには、巫女の到着よりも先に、100人近い神官と貴族達が集ま っていた。

 フィリアが姿を現すと、辺りから大きなざわめきが起こる。歴代の巫女を何人か見た者でさえ、 彼女のその美しさには息をのんだ。

 神殿の中には、エルハード国王ただ1人の姿がある。フィリアはゆっくりと王の前へと 進んで行った。彼女は王の手前で、両膝をついてその場にひざまずく。そして胸の前で両手 を組み、そっと目を閉じた。
「聖なる乙女……フィリアよ、今ここに洗礼を授ける」
 王はフィリアの額に、手にしていた細いサークレットをはめる。それは銀で作られており、 彼女の額に綺麗におさまった。
 彼女はゆっくりと立ち上がり一礼すると、そのまま神殿の階段を降りて行く。

 神殿の外には、澄んだ水が湧き上がる小さな池があり、彼女はその中へと進んで行った。 池には腰の高さまでの水が張られており、聖なる乙女達はここで身を清める。
『寒い…冷たい! どうせなら夏に産んでくれれば良かったのに!』
 ここで鼻水など出そうものなら、紛れもなく恥である。フィリアは誰にも悟られないよう、 必至に水の冷たさに耐えていた。

 身を清め終わると神殿へ一礼し、彼女は王宮へと戻って行った。これで洗礼は終わりである。 彼女達は、生まれた時からその力を使う事がで きる為、洗礼とは形だけのものでしかない。それでもこの洗礼は、 神殿創設の頃からの決まりとなっていた。



「あー寒かった」
 部屋に戻ったフィリアの第一声である。レナは、湯船にお湯を入れて待っていた。
「上がられましたら、温かいお茶を入れますね。風邪をひかれないよう、 ゆっくり温まってきて下さいませ」
「手が震えて服が脱げないのなら、俺が手伝ってやるぞ?」
 いつの間にか、クラウスがレナと一緒に椅子に腰掛けていた。
「何であなたがここにいるのよ!」
 レナは彼の頭を力いっぱい叩いた。まさに、怖いもの知らずである……。
「おい貴様……昨日から馴れ馴れしいぞ。死にたいのか」
 クラウスはレナを睨みつける。
「大体、あなたが乙女の部屋に居ること事態おかしいのよ」
「何だと……俺はフィリアの側にいると誓ったんだから、ここに居るのが当たり前だろう」
 フィリアは2人のやり取りに小さく笑うと、そのまま浴室へと入っていった。

 フィリアが見えなくなったのを確認すると、レナが口を開く。
「約束って……フィリア様と?」
「あいつの父親からだ。お前まさか……何も聞かされてないのか?」
 クラウスの言葉に、レナが眉をしかめる。
「なんでいつも、あなたの方が先に知ってるのよ! 悔しい!!」
「知るか。まあ、ほっといてもその内分かるだろうが、ショックが大きくならない内に 聞いておいた方がいいかもしれんぞ」



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