ここではない何処かへ
○●第1章●○





* * *



 彩香とカークの2人は、机に並べられた食事を大方平らげると、 日中の会話の続きを始めた。しかし、しばらくすると 彩香が眠そうに目を擦り始める。
「その様子じゃ相当疲れてるようだし、 今日はもう休んだ方がいいな。明日は半日近く馬での移動になるから、覚悟しとけよ」
 言い終えるとカークは、何かを思いついたように立ち上がった。
 彼は自身の荷物の中から一本の 短剣を取り出し、それを彩香に手渡した。
「……?」
 ずっしりとした重み。見事な銀細工の施されたその短剣は、明らかに高価な代物だと分かる。 彩香は不思議そうな表情で、渡された短剣に魅入っていた。
「それを貸してやる。今日は偶々(たまたま)、俺みたいな善人が通りがかったからいいものの、 次はどうなるか分からないぜ。俺だって四六時中、あんたと一緒にいられる訳じゃないからな」
「はい……」
 短剣をギュッと握り締め、彩香は不安そうに顔を上げる。そして次の瞬間、 彼女の顔が赤く染まった。目の前のカークのその、優しい…優しい微笑みに。
「心配するな。俺が一緒にいる間は、必ず守ってやるから」
 彼女は今まで、父親や教師以外の男性とほとんど接した事が無かった。 しかも、今自分の目の前にいる青年は、クラスメートの男子達とは全く違う。紗智が普段から よく騒いでいるテレビの中の俳優でさえも、この青年には到底敵わないだろう。
 圧倒的な存在感と整い過ぎた容姿。今まで男性に興味を抱いた事のない彩香でさえも、 思わず見惚れてしまうほどに……。
 しかし、次に彼の口から出た言葉に、 彩香はわずかに胸が痛んだ。
「女子供を守るのが、騎士の役目ってもんだ」


 部屋に戻った彩香は、そのまま浴室へと向かった。シャワーから出る温かな お湯で、全身に纏わり付いた砂と汗を洗い流してゆく。地面に落とされた時に受けた傷と打撲が わずかに痛んだが、ギュッと唇を噛んで耐えた。
 あの時、カークが通りがかって……助けてくれ なかったら、自分は今頃どうなっていただろう。捕まった時のあの恐怖が再びよみがえり、 彩香はブルブルと頭を振る。

 自分はこれからずっと、この世界で暮らしていくのだろうか―――?
 これから自分は、この世界で何をすれば良いのだろうか―――?

 異世界の宿屋の一室で、たった1人になった彩香は、次第に不安がこみ上げてくる。 今晩中に戻ると言ったまま、リシュアはまだ戻って来ていない。
 父親と祖母……紗智は、突然消えた自分を心配しているだろう。あの時、 紗智にさよならの言葉さえも伝える事ができなかった。 何とか連絡を取れる方法はないだろうか。私は今、自分の生まれた本当の世界に戻って来ている。 だから、どうか心配しないで欲しい……と。
(今はとりあえず寝よう。朝になれば、リシュアも戻って来るんだから)
 この世界に来て、初めて迎える夜。彩香は一人、静かに眠りについた。



* * *


「助けて――――!」

「キャアアァ―――」

 耳を覆いたくなるような悲痛な叫び声。必死に逃げ惑う人々。
 崩れ落ちた瓦礫の下で、来ない助けを求める者。全身を炎に包まれ、もがき苦しむ者。
 町は今、赤々と燃え盛る炎に包まれていた。
 自分は今、何かの映画のワンシーンでも見ているのだろうか。映像のように、カシャカシャと 場面が切り替わってゆく。これほどまでに意識がはっきりとしているのだから、 ただの夢とも思えない。
「ワシの店が―――!」
 今にも燃え落ちる建物を茫然と見上げているのは、自分とカークが泊まっているこの宿の主人 だった。そして、その隣りで必至に声を張り上げているのは……彩香自身。
(やっぱり夢? この映像は一体……)

『サイカ、起きなさい!』

 頭に響くその声に、彩香はハッと目を開いた。
 目を開くとそこは宿屋の一室で、 今はまだ真夜中のようだった。月も隠れ、灯り1つない暗闇の中で、 彩香はゆっくりと体を起こす。身につけていた服は、わずかに汗で湿っていた。
「リシュア、戻って来てたの?」
『ええ、遅くなってごめんなさい。戻ってきたら、サイカが酷くうなされていたものですから。 何か悪い夢でも見ていたのですか?』
「今のは夢……だったのかな。この町が燃えていたの。みんな悲鳴を上げて…… 中には死んでいく人もいたわ。私はそれを映画でも観てるみたいに、 ぼんやりと眺めてたの……」
 目が覚めても、はっきりと残っている。まるで自身の目で見た記憶のように。
 わずかな沈黙の後、リシュアからの返事が返ってくる。
『サイカ、それは巫女の……予知の力かもしれません』
「まさか! それじゃ、今の夢は今から起きる未来って事なの?」
 彩香の顔が、みるみる青ざめていく。
『その通りです。私達の見た未来は、必ず起こります。そしてそれは、決して避ける事のできない 現実として……』
「カークさんを起こしてくる。今からみんなを避難させれば、被害を最小限に押さえる 事ができるかもしれない。でも、なんで火事なんかが起きたんだろう…… 原因を見る事ができたら、防ぐ事もできる かもしれないのに」
 彩香はベットから降りると、すぐに着替えを始める。一刻も早く、この事をカークに 伝えなければならない。
『待ちなさい、サイカ』
「え?」
 その時だった。突然、部屋の窓ガラスが、ガタガタと大きな音を立てて揺れ始める。
「みんな起きろ! 火事だ―――!」
 彩香はハッと窓に駆け寄り、カーテンを引いた。そして、目の前の光景に目を見開く。
 窓の外。真夜中である筈の町は、うっすらと朱に染まっている。 そして炎はすでに、町の中心部であるこの宿から500メートルほど後方まで迫っていた。
「まさか……こんなに早く」
 ドンドン
 部屋の入り口の扉が叩かれ、彩香はハッと我に返る。
「サイカ、起きてるようだな。今すぐ荷物をまとめろ、ここも危ない」




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