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『・・・サイカ・・・・・・サイカ、起きて下さい』 耳元で囁く優しい声に、彩香はゆっくりと目を開く。直後、目に飛び込んできたのは、 眩い太陽の光だった。今は確か、日の沈みかけた夕刻だった筈なのだが・・・・・・。 「ここは・・・・・・?」 まだぼんやりとした意識の中、彩香は地面に手をついて半身を起こす。手の平からは、 熱く火照った石の感触が伝わってくる。地面はアスファルトの舗装ではなく、 ゴツゴツとした粗い石畳が続いていた。 完全に目が覚めた彩香は、ゆっくりと辺りを見渡す。どうやら自分は、路地の 片隅で倒れていたようだった。 「外国かどこかかな?」 彩香は呟いて首を傾げる。 赤い錆色のような石が、レンガのように積み上げられた外壁。赤茶色の洋瓦のようなもので 葺かれた屋根。まるで、 何かの映画で 観た ヨーロッパの町並みのように、見事に統一されている。 彩香のいる通りの向かい側には、店らしきものも何軒か見える。そこには、 今まで見たことのないような、目新しい品々が並んでいた。 恐らく野菜や果物だと思うが、自分が今まで見てきたものとは 明らかに造形が異なるもの。花屋の店先には、見たことの無い鮮やかな花が並んでいる。 それに、剣や盾の並んだ 武器屋などもある。 行き交う人々が、不思議そうに彩香を振り返っていく。無理も無いだろう、 彼女が身に付けている服は、彼らのものとは明らかに異なっているのだから。 男達は主に、シンプルだが独特な形をした上着と動きやすいズボン。中には、 腰に剣を携えている者もいる。女性達は皆、薄い布を幾重にも巻きつけたスカートを身に 纏っている。誰一人、彩香ほど足を露出している者はいない。もっとも、彼女が身に付けているのは 、日本の高校の標準的な制服でしかないのだが・・・・・・。 もう1つ気になったのが、彼らの風貌だった。顔立ちは、どちらかといえば 西洋に近いのかもしれない。 金、赤、茶といった様々な髪の色に、 青や緑といった瞳。中には、日本人と同じ黒髪黒目の者もちらほら見かける。 彩香自身の風貌は、彼らの中に混ざったとしても 違和感はない。むしろ、今までいた世界の方に彼女が馴染んでいなかったという方が 正しいかもしれない。 (本当に、別の世界に来てしまったの?) 『ここは、サイカが生まれた世界です。あなたは16年ぶりに帰って来たのですよ』 「え?」 彩香はキョロキョロと辺りを見渡すが、近くに声の主らしき者の姿はどこにもない。 『私は今、あなたの中にいます』 「私の中?」 はっきりと聞こえるその声は、どうやら頭の中に直接響いているようだった。 突然見知らぬ世界に飛ばされたぐらいなのだから、これにもさほど驚かなかった。 だが、他人の声が直接頭の中に聞こえてくる という感覚は、例えようもなく不思議な感じがする。 「あなたの名前は? それに、ここはどこなの?」 『私の名前は、リシュア・レジェス。レジェスとは、この国の巫女を表す言葉。 そして、今あなたがいるこの国の名は、《ラガイア》といいます』 「ラガイア?」 聞いたことのない名前に、彩香は思わず繰り返す。確か、そのような名前の国はなかった筈 だが……。 『そう。ここは、あなたが暮らしていた世界とは、全く異なる世界です。 サイカと私は、この世界で同じ父と母から生まれました。その様子だと、あなたはお母様から 何も聞かされてはいないのですね』 「お母さんは小さい時に亡くなったから・・・・・・」 彩香は母の事を殆ど覚えてはいない。母親は彼女が3歳の頃に病気で亡くなり、それからは父と祖母との 3人暮らしだった。 何枚か残っている写真の中の母は、いつも穏やかに微笑んで いた。どこか儚げな印象の、美しい・・・美しい人だった。 「どうしてお母さんと私だけ、向こうの世界で暮らしてたの?」 彩香が訊ねると、わずかな沈黙の後、リシュアはゆっくりと語り始めた。 『16年前、先代の巫女シア様が、新たな巫女の誕生を予言しました。 しかし、予言の通りに生まれてきた赤子は双子の姉妹。 2人の内のどちらが次の巫女となるのか、シア様にも予想がつきませんでした。なぜならば、巫女が双子 として誕生した事自体、この国でも初めての事でしたから。 ラガイアの王は、選べないのであれば、片方の赤子を殺すよう兵士に命じました。この国の巫女は、 たった1人で良いのだと。 巫女の 可能性のある赤子を手にかけるなど、あって良い筈がない。シア様は必死に訴えましたが 、この世界では王の 命令は絶対のもの。その結果、次の巫女に選ばれたのは、姉である私の方でした。 お母様はあなたを守る為、兵士の前に立ち塞がりました。 容赦なく兵士が剣を振り上げた時、強く眩い光が輝き、お母様とあなたはその場から 消え去った・・・・・・そう聞いています。 2人が向こうの世界へ渡ったのは、赤子だったサイカ、あなたの力です』 「私の力?」 リシュアの言葉に、彩香は不思議そうに首を傾げる。 『そう。そして今、あなたがこの世界に戻って来たのも、あなた自身の力。私の力では、 あなたを捜し出すだけで精一杯でした。16年前、ラガイアの巫女を継ぐべき本当の赤子は、 サイカ・・・・・・あなたの方だったのです』 「え、えっとー・・・・・・」 彩香は思わず口ごもる。訳が分からない、という表情を浮かべて。 自分はつい今しがた、この 見知らぬ世界に来たばかりなのだ。頭の中には、姉と名乗る少女の声が聞こえてくる。 その上さらに、自分は《巫女》となる力を持っているという。 今の今まで普通の女子高生として暮らしてきた自分にとっては、それらは全て 信じがたい事実ばかりだった。 「お姉ちゃん、どうかしたの?」 頭上から届いたその声は、リシュアのものとは違っていた。 彩香はハッと顔を上げる。 目の前には、赤い巻き毛の 小さな少女の顔があった。まだ7、8歳ぐらいだろうか、 黒色の大きな瞳で不思議そうに彩香を覗き込んでいる。 「何でもないよ。ありがとう」 彩香が微笑むと、少女もにっこりと笑う。 「お姉ちゃんみたいに綺麗な人、初めて見た」 そう言うと少女は、ちょこんとしゃがみ込んだ。彩香の方は、何と答えてよいものか分からず、 とりあえず曖昧な笑みを浮かべる。 「変わったお洋服だね。お姉ちゃんは、旅の人?」 「えっと・・・・・・うん、そうだよ」 「どこから来たの。遠いところ?」 小さな少女は、瞳を輝かせて質問を続けてくる。 (リシュア、どうしよう?) 彩香は思わず助けを求める。 『どうすれば良いかと訊かれても・・・・・・』 彼女の答えに、彩香は小さくため息をつく。 彩香は立ち上がり、少女の頭を優しく撫でた。撫でられた少女は嬉しそうに 笑う。 「ごめんね、お姉ちゃんはもう行かなきゃ。待ち合わせがあるんだ」 「うん、分かった」 少女は小さく頷くと、その場から元気良く走り去っていった。彩香はホッと胸を撫で下ろす。 『確かに、サイカのその格好は目立ちますね』 立ち上がった彩香の制服のスカートの丈は、膝よりもやや短い。胸元に校章の入った白地のシャツに 、赤色のネクタイ。 濃紺のソックスに白地のスニーカー。 これが今まで暮らしていた日本ならば、これといって目立つ姿でもないのだが・・・・・・。 『このまますぐに、王都へ向かいましょう。しかし、今の私の力では、あなたを運ぶ事はでき ません。 あなた自身の力で・・・・・・』 (王都? そこにリシュアもいるの? でも、私にそんな力があるなんて信じられないよ) 『巫女の力は、あなたに引き継がれています。サイカ・レジェス……あなたが次の ラガイアの巫女になるのですから』 |