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1時間ほどヘレンと話をした後、彩香は客室に戻ってきた。 話といっても、 へレンが一方的にしゃべり続けていた為、彩香はただ頷いていただけなのだが……。 主にはカークの幼少時代の話で、本人が聞いていたら暴れ出しそうな内容ばかりだった。 部屋の中にカークの姿はない。恐らくはまだ、ディスと話しているのだろう。 彩香は真っ先に浴室へと向かい、湯船にお湯を入れた。さすがに貴族の屋敷なだけあって、 昨晩泊まったホテルのものとは広さも造りも違っている。 熱いお湯でゆっくり温まった後、用意されていた下着とガウンに着替えた。 (これじゃまるで……) 彩香は頬を赤く染め、そのままベッドへともぐりこんだ。 (今晩って、カークさんと一緒の部屋で眠るんだよね……) 『サイカ、大丈夫ですか?』 「大丈夫だよ。だって、カークさんが好きなのはリシュアなんだし。きっと、 今でも……」 言い終えた後、彩香の胸にわずかな痛みが走る。 今の彼女では、その痛みの理由までは分からなかった。 リシュアからは、何の言葉も返ってこない。恐らくは、返す言葉を探しているのだろう。 「ねぇ、リシュアは好きな人いるの?」 『……どうしたのですか、突然』 「誰かを好きになる、ってどんな気持ちなのかな」 彩香は生まれてから今まで、1度も恋愛という感情を抱いた事がない。父や祖母、 親友の紗智の事は大好きだが、恋というのはもっと別の感情なのだろう。 紗智からは、何度か片思いの相談を受けた事があった。相手は、クラスメートの男子 だったり、部活の先輩だったり。 頬を赤らめながら楽しそうに話す姿がとても眩しくて、相談を受ける彩香まで嬉しくなった。 『私たち巫女は、誰か個人を愛する事を固く禁じられています』 「えっ……?」 『私たちはラガイアの象徴であり、国民のために在る者。 何よりも、私たちが誰かを愛せば、 大きな苦しみを背負わなければなりません』 リシュアは続ける。 『誰かを強く想えば、無意識にその人の未来を見てしまう。それが例え、望まぬ 未来であろうとも……』 彩香は予想もしていなかった彼女の答えに、言葉を失う。 しばらくの沈黙の後、リシュアが口を開いた。 『……それなのに私は、1人の男性を愛してしまいました』 「リシュア……?」 『あなたに言った言葉を覚えていますか。私たちは未来を見る力はあっても、 未来を変える力は無いのだ、と』 彩香は返事の代わりに、小さく頷く。 『私は倒れる寸前に、1つの未来を見ました。その未来は、私の愛する人の《死》 ……』 「そんな……っ!」 彩香は思わず声を上げ、シーツを強く握りしめる。 最期に見た未来が、 愛する人の死――――それでは、あまりにも残酷すぎる。 『私の最期の予言を、あなたの口からあの方に…… エイアル様に伝えて下さいませんか。本当は私の口から伝えたかったのですが、 それはもう……』 震えるような声。彩香の中に、彼女の感情が流れ込んでくる。 自分の愛する人に、その人の死の予言を伝える。それは、想像もできない程の 苦しみだろう。 彩香はしばらくの間うつむいた後、ゆっくりと顔を上げた。 「……分かった、必ず伝えるよ」 『どうかお願いします。あなたには無理なお願いばかりで、本当にごめんなさい……』 「他に何か伝える言葉はない? リシュアはその人にお別れの言葉も言えなかったんでしょ?」 『……ありません。あの方は私の想いなど知りませんので。 私が己の立場を忘れ、勝手に愛してしまっただけですから…… 』 1度も言葉にはしなかった想い。 妹である彩香にだけは、話しておきたかった。 彼女にだけは、自分と同じ苦しみを味わせない為にも……。 「リシュアは、その人を好きになった事を後悔しているの?」 『いいえ。あの方と出会えた事を、心から神に感謝しています。ですが、あなたは……』 「だったら、その気持ちも一緒に伝えなきゃ。今リシュアが私の中に いるからかな、よく分かるの。あなたがどれだけその人を想っているのか」 彩香自身、伝える事が本当に正しいのかは分からない。 伝えられる相手にとっては、残酷な事なのかもしれない。愛していた……と告げられても、 彼女はもういないのだから。それでも、リシュアの心をどうしても伝えたい。 小さな思い出としてでもいいから、その人の中で生き続けられるなら。 『ありがとう、サイカ。……本当にありがとう』 その言葉だけで、私は―――…… 突然、視界が真っ暗になった。 彩香の中に、次々と映像が流れ込んでくる。恐らく、リシュアが送っているのだろう。 ◇ 広い部屋の中には、執務用の机とゆったりとした椅子。 壁の片面には、数え切れない程の書物が積み上げられている。 ここは執務用の一室なのだろう。見事な装飾は施されているものの、全体的に は落ち着いた内装となっている。バルコニーへと繋がる大きな窓からは、美しい 秋の景色が広がっていた。 部屋の中には、1人の男性の姿があった。 年は25歳前後だろう。綺麗に整えられた金色の髪。 優しげな瞳の色は、深い…深い青。繊細な顔立ちは、見事なまでに 整っている。 (この人が、リシュアの……?) 目を奪われるのは、容姿のせいだけではない。彼の持つ、圧倒的な その存在感。間違えない。この男性こそが、ラガイアの王、エイアルその人だろう。 エイアルは机に向かい、積み上げられた書類に目を通していた。 綺麗な眉を寄せ、難しそうな 表情を浮かべている。 しばらくすると、部屋の扉がノックされた。 「入れ」 「失礼いたします」 誰かが部屋の中に入って来る。彩香からはエイアルの姿しか見えないため、誰が 入って来たのかは見えない。 「珍しいな、卿が私の執務室まで訪れるなど」 「たまたま王宮に用事があったものですから」 それは、もう若くはない男性の声。やはり、顔までは映し出されない。 向かい合うエイアルは、穏やかな表情を浮かべている。面識のある者同士なのだろう。 「……ですから、用事を果たさせて頂きます」 そう言うと男性は、パンと手を叩いた。 すると、部屋の外から十数名の男達が侵入してきた。全員が、黒を基調とした着衣に 紺地のマントを身に着けている。手にはカークのものと同じ長剣が握られている。彼らは皆、 騎士なのだろうか。 エイアルはハッと立ち上がり、立てかけてあった自身の長剣に手を伸ばす。 しかし、すでに男達は彼を取り囲んでいた。 「お別れです、陛下」 騎士らしき男の1人が、剣を振り上げた。 画面が突然切り替わった。 そこには、床に横たわるエイアルの姿があった。 胸元から流れる血が絨毯を赤く染め上げて いく。ゆっくりと、侵食するように……。 先ほどの男達は、すでに立ち去った後だった。エイアルは瞳を固く閉じ、 ピクリとも動かない。すでに 息絶えているのだろう……。 なぜだろうか、彼の顔に浮かんでいるのは、穏やかな表情だった。 (そんな………) そこで画面は静止した。 ◇ 小さなノックの後、部屋の扉がゆっくりと開く。 「サイカ?」 名前を呼ばれた当人からの返事は返ってこない。 「もう寝てるのか……」 (無理も無いか。昨晩はほとんど寝てないからな) カークは足音を立てずに、ベッドへと近づいて行く。 天蓋付きの大きなベッドには、静かな寝息をたてながら眠る少女の姿があった。 カークは眩しそうな表情で、優しく見つめる。 (涙―――?) 見ると、長いまつげから頬を伝って、涙が流れている。 故郷を思い出しているのだろうか。それとも、何か悲しい夢でも見ているのだろうか。 「おやすみ、サイカ」 彼は彩香の耳元で囁いた後、自身の袖で彼女の涙をそっと拭った。 |