ここではない何処かへ
○●第2章●○






【 第二章  2人の巫女 】


* * *



 恵まれた国土と豊かな資源を持つ、大陸最大の大国―――《ラガイア》。 代々、500年以上も続くクラーディウス王家がこの国を統治している。
 国の中央に位置するのが、ラガイアの王都《ラジェス》。大都市であるラジェスは、 ラガイア内のみならず、大陸中の商人や旅人達でいつも賑わっている。

 王都から1キロほど離れた森の中。四方を木々で囲まれた、静かな…静かな場所。 ここには、賑やかな王都の雑音も届かない。静寂の中で聞こえてくるのは、 風に揺れる木々の音と小鳥達のさえずり。 ラガイアの象徴である、純白の美しき神殿は、ここに建てられている。

 長い歴史を持つこのラガイアには、代々《レジェス》と呼ばれる巫女が存在する。 巫女の代替わりは50年に1度。巫女となる女性達は皆、神より遣わされた聖なる力と、 未来を予言する力を持って生まれてくる。
 しかし今この神殿の祭壇に、主であるレジェスの姿はない。
 当代の巫女である、リシュア・レジェス……彼女は半月以上も前に倒れたまま、 1度も目を開かない。日に日に弱まっていく心臓の音は、彼女の命がもう長くはない 事を告げていた。

「リシュア……」
 神殿の奥にある寝所で眠り続ける少女の隣りには、1人の男性の姿があった。
 本来ならば、神官の侍女以外の者が、巫女の寝所に立ち入る事は許されていない。まして、 男性ならば特に。
 彼は少女の白い手を握り、何度も…何度も名前を呼ぶ。愛しい者に囁く、 優しい声で。彼はリシュアが倒れてから毎日、朝と夜に神殿を訪れていた。 しかし、眠ったままの少女は、1度も目を覚まそうとはしない。
 男性の表情は、とても穏やかだった。 彼女の命はもう、長くはないだろう。その事は、彼にもよく分かっている。 だからこそ、一秒でも長く彼女の側にいたい。自分が愛する、生涯たった1人の女性の ぬくもりを忘れないために。
 彼がこの神殿に訪れたのは、かれこれ1時間ほど前。まだ薄暗い夜明け前だった。 カーテンの隙間から、わずかに朝日が射し込んでくる。
 男性は名残惜しそうに少女の額に唇を落とし、ゆっくりと立ち上がる。そして、 もう1度彼女の名前を呼んだ後、部屋を後にした。

 廊下ですれ違う神官達が、立ち止まって頭を垂れる。彼らにとっては、 巫女と同様に自分達の主君であるこの男性に。
 神殿の入口には、真っ白な神官服を身につけた、1人の女性が立っていた。 年はすでに60を超えたぐらいだろう。薄茶の瞳は穏やかに微笑んでいる。
「今日はもう、執務に戻られるのですか」
「ああ。もう1度夕方に来るよ」
「お待ちしております。ですが……エイアル様、あまりご無理はなさらないで下さいませ。 あなた様のお体は、あなた様お1人のものではないのですから」
「分かっているよ、ありがとう」
 男性は笑いながら軽く右手を上げ、繋いであった馬の下へと歩いて行った。
 その後ろ姿を見つめる女性の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。 彼女、シア・レジェスは知っているのだ。 神殿の奥で眠る美しい少女……リシュア・レジェスの最期が、今日この日である事を―――。


* * *



 夜明け前に町を出た2人は、次の町で少し遅い朝食を取ることにした。
 手ごろな食堂を見つけ、空いた席につくと、カークが適当に朝食を注文する。 昨晩あまり睡眠をとれなかったせいか、2人ともあまりお腹はすいていない。 だが、次の町に到着するのがいつになるか分からない。食べれる時に食べる、 これが旅の基本だろう。
「じゃあ、今サイカの中には、リシュア様がいるってわけか?」
 彩香は小さく頷く。カークは信じられない……という表情を浮かべ、彼女を食い入るように 見つめる。
「やっぱり巫女ってのは、俺たち一般人とは違うんだなー」
「さ、さぁ……そうなのかなぁ」
 真剣な眼差しで見つめられ、彩香は真っ赤な顔で視線をそらした。
「俺はリシュア様とは面識がないし、正直この目で見るまでは、巫女の力って やつにも半信半疑だったんだけどなぁ」
「実は私も昨日までは、半信半疑だったんですけど……」
 そこへ、ウェイトレスの女性が食事を運んで来た。マントの布を脱いでいる為、 彩香の身につけている服…制服が珍しいのだろう。食事を机に並べながら、 横目でチラチラと見つめている。
「サイカ、この町で着るものを見繕ってやるよ。小さい町だから、たいしたものは 無いかもしれないけどな」
「えっ、でも……」
「気にすんな。こう見えても、多少の金は持ってんだぜ」
「えっとー……ありがとうございます」
 2人はいったん会話をやめ、朝食を片付ける事にした。

 食事を終えた2人は、食堂のウェイトレスに教えて貰った洋装店へ向かった。
 この店は、どうやら女性用の洋服しか取り揃えてないらしい。店の店員と女性客が、 カークを楽しそうに観察している。
「カークさん……大丈夫?」
「ああ、別に気にならないぜ。こんな店なら、しょっちゅう付き合わされるからな」
「はぁ……」
(これだけ美形だし偉い人なんだから、彼女や婚約者の1人ぐらいいるよね……)
『さぁ、どうでしょうか。私は神殿の中にいたもので、そういった噂の類はあまり 耳にしないものですから』
 彩香は独り言のつもりだったのだが、リシュアからは真面目な回答が返ってくる。
(こっちでは、結婚は何歳ぐらいでするものなの?)
『そうですね……貴族の方々であれば、大抵が17、8歳ほどだと思いますが』

「じゃあ、カークさんって奥さんがいるの!」

 思わず声になり、彩香はハッと口を両手で押さえる。しかし、すでに遅かった。
 彩香の服を選んでいたカークは、眉間に皺を寄せて振り返る。
「サイカ……お前、リシュア様と何の会話してんだ!」
「ごっ、ごめんなさい」
「自慢じゃないが、俺はモテる。俺ほどの男前で実力もある奴なんて、 他にはいないからな。いやまて、1人だけいるか……。とにかく、 こんなにモテる俺だが、なぜだか独り身だ」
「はぁ……」
 訳の分からない、堂々とした説明に、彩香は首を傾げる。
「じゃあ、こういう店によく来るのって?」
「姉上に付き合わされるんだよ……」
 カークは小さな声で、呟くように答えた。その顔が、わずかに赤く染まっている。 ラガイア最強の剣士と名高い、カーク・ヴァルデス。《死神》と恐れられる彼が、 姉に頭が上がらないなど、誰が想像できるだろうか。彩香とリシュアは小さく吹き出した。
「ほ、ほら! これ着てみろ」
 ごまかすように差し出されたその服は、緑やオレンジといった鮮やかな色 で染められたものだった。デザインも、無駄にヒラヒラとしているように見える。
「これは……派手すぎて私には似合わないと思うんだけど」
「そうかぁ? 姉上なんて、いつももっと派手なの着てるぜ」
「……無理」
 彼なりに真面目に選んだのだろう。彩香は申し訳なさそうに服を戻す。
(リシュアはいつも何色の服が多い?)
『私は巫女ですから、普段から白い衣装しか身につけた事がありませんので』
(そうなんだ。でも白は汚れちゃうしなあ。じゃあ、何色が好き?)
『え?』
 投げられた質問に、リシュアは思わず言葉を失う。好きな色……そのような質問を 今まで受けた事がなかったから。
『……青色……でしょうか』

 深い…深い青。それは、あの方の瞳の色――――

(青は私も好きだよ。そうだなぁ、これなんかどうかな?)
 彩香が選んだスカートは、深みのある美しい青色をしていた。 デザインはシンプルなもので、膝よりも少し長めの巻きスカート。 上着には、濃紺の裾の短いものを選んだ。
「へぇ、なかなかいいんじゃないか」
『私もそう思います』
 2人の賛同を貰えた彩香は、さっそく試着室へと向かう。向こうの世界のものとは、 肌触りも布質も違う。薄いながらしっかりとした生地。少し肌寒い今の季節でも、 十分に温かい。身につけた後は、店員の女性が手早くサイズ直しを行ってくれた。
「おー、似合う似合う」
 カークは満足そうな表情で頷き、店員の女性に代金を支払いに行った。
『あなたが歩いて王都に行きたいと言った事、今は感謝しています』
(リシュア?)
『決して、神殿での生活が嫌だったわけではありません。ですが、今あなた達とこうして 旅をしている事が、本当に楽しいのです』
 生まれてすぐに神殿へ連れてこられたリシュアは、今まで自分の足でラガイアの土を踏ん だ事さえもなかった。今は彩香が見聞きする全てを、彩香の中で自分も感じる事ができる。 この感動は、決して他の誰にも分からないだろう。

 神よ、最期に私に最良の時をお与え下さった事を、心から感謝いたします――――



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