銀 朱
○●第1章●○





* * *



「王子、今伺うところだったんですよ」
 廊下の向かい側から歩いて来たのは、宰相デコーズ・セドリックだった。

 きっちりと整えられた黒髪、同色の瞳。40を超えた今も、 十分に女性達の目を惹きつける端正な容姿。
 彼は《アルハント》でも指折りの貴族であり、元々は北を治める一領主だった。 しかし前宰相が引退した際、次の宰相となる適任者がいなかった為に、彼がその職に就く事と なった。もっとも、彼は宰相になる前からずっと、この王宮に住みついていたのだが。
 彼は元々、近隣の国々にその名を轟かせる程の切れ者だった。宰相となってからも、 その見事な手腕で国王を支えてきた。しかし問題は、その性格だろう。
 女性に対してはつねに優しく、それが綺麗な女性であれば尚更。 その逆、興味の無い相手に対しては、どこまでも冷酷だった。
 ユーリスの教訓、『女性には優しく、男には情けは無用』・・・・・・これは勿論、セドリックの 教育によるものだった。17年間、職務に忙しい2人に代わって、 彼がユーリスの教育係を務めていたのだから。

「デカルド・ワイズナーの処分はどうなった」
 ユーリスが尋ねる。
「1年の間、社交の場及び王宮への出入り禁止を命じました。今回の噂はすぐに広がる でしょうから、1年ぐらいは謹慎するしかないでしょうしね」
「処分って、たったそれだけか?」
 ジェイクが呆気にとられた顔で尋ねる。セドリックはそれに眉をしかめた。
「いつも言ってるが、お前たち親子は目上の者に敬語を使うという事を知らないのか。 全く・・・・・・」
「あんたが尊敬に値する人物なら、とっくに敬語ぐらい使ってるよ」
 ジェイクが負けじと言葉を返す。セドリックはこの上なく不機嫌な顔で、 30近く年下のジェイクを睨み付けた。
「それで、ワイズナーの処分はそれだけなのか?」
 ユーリスが代わりに尋ねると、セドリックはハッと我に返った。
「ええ、本人もちゃんと改心しているようですからね。若気のいたり、という事で 1度だけ大目に見ましょう。お金を渡した商人達にも、後で厳しい罰を与えておきます」
「そうか・・・・・・」
「それにしても、あの冴えない男の妹は、実に可愛いかった。スカートから覗くスラリとした 白い足・・・・・・しなやかな体。愛らしい目が私を見て潤んで。思い出すだけで、うっとりする。 私が彼女の兄ならば、もっと別の犯罪に手を染めた事だろうに」
 セドリックはニヤニヤと笑みを浮かべている。40を超えてこの笑い方は、殆ど犯罪に 近いだろう。2人はセレナに同情し、大きなため息をついた。
 とりあえず、彼女が付き添ったお陰で罪が軽くなった事は事実らしい。 ユーリスとジェイクは目を見合わせると、ニッと微笑んだ。

「そうだ、セドリック。俺達は明日から、《シレース》に向かう事になった。父上の命令だ」
「王子が自らですか? 《シレース》の領主からは、確かに書状が届いていましたが・・・・・・ それはまた、陛下も思い切った決断をされましたね」
「盗賊退治に、わざわざ軍を派遣する訳にもいかないからな」
 セドリックは真剣な表情を浮かべている。どうやら彼も気が付いたのだろう。
「どうかお気をつけ下さい。この私の耳にさえも、《パラディア》の情報は殆ど入って 来ません」
「ああ」
 セドリックは、ユーリスの隣りに立つジェイクに視線を移した。ジェイクはビクリと体を 強張らせる。彼はこの宰相が、昔から苦手だっだ。
「王子にもしもの事があれば、ジェラルディン殿が哀しむ。お前は別に死んでも構わんから、 王子だけは必ず守り通して来い」
「・・・・・・」
( じゃあ俺が死んでも、誰も哀しまないってのかよ )

「お兄様」

 背後から駆け寄ってきたのは、ニースだった。彼女はそのまま、 ユーリスに抱きついた。
「ニース・・・・・・?」
 ユーリスが名前を呼ぶと、彼女はゆっくりと顔を上げた。その目には、薄っすらと涙が浮かんで いる。
「危険な場所に行くの? すぐに帰って来られるの?」
 その声は震えていた。ユーリスは彼女の背に腕を回すと、強く・・・強く抱きしめた。
「大丈夫だよ。そんな危険な場所に、父上が俺を向かわせる筈がないだろ? すぐに帰って来るから、 ニースは心配しないで待っていて」
 優しい声だった。まるで恋人に語りかけるかのように・・・・・・。
 その光景を後方から見ていたジェイクとセドリックが、目を見合わせる。
『諦めろ、勝ち目はない』
 セドリックの声だった。魔術を用いたその声は、ジェイクの頭にのみ聞こえてくる。
『うるさい・・・・・・向こうは兄妹だぞ? あれは麗しき兄妹愛だ』
『そう見えるか?』
『・・・・・・見えん』
 ジェイクはがっくりと肩を落とし、その場を後にした。決して後ろは振り返らないままに・・・・・・。




 ジェイクの自室は、王宮の2階にある。
 軽く30帖は超える大きな部屋には、続き間で浴室とトイレも完備されている。 中庭を一望できる大きな窓、見事な装飾のなされた内装。しかしそこには、 必要最低限の家具のみしか置かれていない。ある意味、殺風景ともいえる部屋だった。

「ジェイク、《シレース》に向かうんですって?」
「母さん・・・・・・頼むから、ちゃんどドアから入って来いよな」
「そうねぇ、あなたもお年頃ですものね。見られたくない事の1つや2つあるわよねぇ」
 クスクスと笑いをこぼしているのは、美しい女性・・・いや、少女だった。彼女の名は ウレーネ、カインの妻であり、ジェイクの母である。母親というものの、見た目の年はジ ェイクとほぼ変わらないのだが。
 緩やかに流れる髪は、水の糸のように透き通っている。瞳の色は、澄み切った《青》。 美しい・・・・・・そのような言葉では言い表せない程の美貌。女性ならば誰もがうらやむ ような肢体には、白いドレスを纏っている。そして、彼女は地面ではなく空中に浮かんでいた。

「なんでそんなに沢山の荷物を詰めてるの? 魔術で向こうまで行って、片付いたらすぐに帰って くればいいじゃない」
 ウレーネは不思議そうに首を傾げた。実際、ジェイクの荷物は多かった。着替えや日常用品 など、およそ1週間分はあるだろう。
「そうなんだけど・・・・・・あのユーリスが、すぐに帰るとは思えないしな」
「そうねぇ、あのアランさんの息子さんですものねぇ」
 ウレーネはしみじみと答える。
「あなたも気をつけて行ってらっしゃいね。ユーリスさんが無茶な行動をしようとした時は、 ちゃんと止めてあげるのよ」
「・・・・・・」
「どうしたの?」
「母さんだけだよ。俺の身を心配してくれるのは」
 ジェイクの目は潤んでいた。それを見たウレーネは、また首を傾げる。母親なのだから、 息子を心配するのは当然だった。
「隣国《パラディア》との国境も近いわね、十分に気をつけなさい。こないだから精霊達が 騒いでいるわ、《パラディア》には邪悪な気が満ちている・・・・・・と」
 ジェイクはそれに頷く。
 《アルハント》と《パラディア》の国境付近に現われた盗賊―――――
 国王が暗殺され、国が乱れている《パラディア》―――――
 この2つが何か関係あるのかは分からない。今からそれを確かめに行くのが、 自分達なのだから。




 中庭のテラスには、国王アンドリューとジェラルディン、カインの姿があった。
 アンドリューとカインは、執務から離れれば仲の良い親友同士である。彼らはジェラルディンも 交えて、たびたびこうして3人で集まっていた。

「私は絶対に反対です!」
「何がだ?」
 アンドリュー国王の返事に、カインが大きなため息をついた。
「ユーリス達ももう17だ、そろそろ外の世界を勉強させるいい機会だろう」
「まだ17です! それにあの2人の事ですから、盗賊退治だけで戻って来るとは思えません。 あまりに危険過ぎます」
 カインが食い下がる。
「カイン・・・・・・お前、ますますジェイルに似てきたな」
「 ! 」
 アンドリューの言葉に、カインは絶句する。

 ジェイル・クラーク・・・・・・カインの父であり、前任の宰相、《マスター》である。 彼は王宮を堂々と抜け出すアンドリューに、いつもぼやいていた。そう、今のカインのように。

「今になって、親父の気持ちが良く分かるなんて・・・・・・」
 その言葉に、言った本人も、聞いていた2人も噴き出した。
「《パラディア》の事は、近い内に調べるつもりだった。あまり交流がなかったとはいえ、 我が国とは隣同士。今の状況を、このまま見過ごす訳にはいかんからな」
「そうですね。《パラディア》がこのまま乱れ続ければ、《アルハント》にも影響が無いとは 言い切れません。かといって、表立って乗り込めば侵略とも思われ兼ねませんし・・・・・・」
 言い終えたところで、カインはハッと顔を上げる。目の前のアンドリューを見ると、何かを考え込むよ うな表情を浮かべていた。
「駄目ですよ、アラン! どうせまた、我々3人で乗り込もうなどと考えているんでしょう」
「なぜ分かった」
「分からない筈がないでしょう。もう昔とは違うんです。我々の顔は知れ渡っている上に、 もう若くはないんですから」
「だから、息子達に任せたんだよ」
 そう言うと、アンドリューはニッコリと微笑んだ。カインは、「してやられた」 とうな垂れる。
 2人のやりとりを見ていたジェラルディンは、クスクスと笑い出した。
「あの2人なら、絶対に大丈夫よ。昔のアランとカインにそっくりだもの」
「「どこがだ」」
 2人は声を揃えた。ジェラルディンはまた笑い出す。
「そういう所も含めて、全部よ」
 アンドリューとカインは目を見合わせると、小さく噴き出した。彼女には敵わない、と。


* * *





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