銀 朱
○●第1章●○





* * *



「とりあえず移動するぞ。このような不衛生な山小屋で、ひと月もの間シルファー殿が過ごされた というのが嘆かわしい」
「そうよねー。それにお姫様なんだから、綺麗なドレスも必要よ」
 ウレーネの言葉に、ユーリスも頷く。2人の会話を聞いて、シルファーは顔を赤く染めた。 このひと月、彼女は毎日焦りと恐怖に怯え、今の自分がどのような姿をしているのかなど、 考える余裕もなかったのだ。
「ですが、移動するといってもこの人数ですしね。アルハントの王宮以外となると、どこに します?」
 ジェイクが訊ねると、ユーリスはニッと笑みを浮かべる。
「そうだな、領主殿の屋敷に向かうか。建物はボロだが、部屋数だけなら問題 ないだろう」
「なるほど、そうですね」
 ジェイクはすぐさま呪文を唱え始める。建物の中であるにも関わらず、強い風が巻き起こった。 風はその場に居る全員を包み込む。

【 風の精霊ウィンディよ、そのどこまでも自由な羽で我らを遠く目的の地まで運べ 】

 彼らが目を開いた時、そこは古びた屋敷の玄関ホールだった。 一瞬の出来事に、パラディアの騎士達がポカンとした表情を浮かべている。
 本来、魔術で自分以外の人間を同時に転移させるのは、容易な事はない。 パラディアの宮廷魔術師であるガイルでも、自分を含めて3人が限度。それなのに、ジェイクは 事も無げに、その場に居た20名以上の人間を、一瞬にして転移させてしまったのだ。 人よりも抜きん出た魔力・・・・・・そのような言葉では片付けられる事ではない。
 しばらくすると、屋敷の奥からマイヤが歩いてきた。
「ユーリスさんとジェイクさん、 お帰りなさい。そちらの皆さんは、お2人のお客様かしら?」
 彼女は、穏やかな微笑みを浮かべながら訊ねた。ユーリスも笑顔で答える。
「ただいま、マイヤさん。領主殿は 屋敷におられますか?」
「ええ、あの人なら執務室の方にいますわ。すぐに呼んできますから、皆さんは 応接間でお待ち頂けるかしら」
「分かりました」
 彼女は一礼すると、そのまま奥の方へと歩いて行った。ユーリスとジェイクは、 昨日案内された応接間に 向かって歩き出す。
「あのー・・・・・・」
 後ろから声をかけられ、2人が振り向く。見ると、エリック達一同は不思議そうな表情を 浮かべていた。
「ああ、そういえば言ってなかったっけ。俺たちは素性がバレると面倒なので、ここでは王宮 から派遣された騎士という肩書きになっている。だから、王子という呼び方も敬語も 不要だ」
「はぁ・・・・・・」
 ユーリスの答えに、騎士達はお互いに目を見合わせる。困惑の表情を浮かべて。
( 王子だってばれたら、堂々と遊べなくなるからだろ・・・・・・ )
 ジェイクはこっそりと心の中で呟いた。


 シレース領主、ショーン・レイブスは、口を開いたまま静止していた。ユーリスは、彼の 様子を全く気にせずに続ける。
「今までの話を要約すると、ここにいる者達が国境の森に身を潜めていた盗賊達です。 その彼らの正体は、隣国パラディアの王女と 彼女に・・・王家に仕える騎士達と宮廷魔術師。そして領主殿には、しばらくの間この方々を この屋敷に匿って 頂きたい。以上です」
「・・・・・・」
「無理でしょうか?」
 ユーリスは、おずおずと訊ねる。これは間違えなく演技だろう。
「この屋敷に滞在なさるのは、勿論構いません。ですが、パラディアの王家の姫君を 匿うなど、私の一存で決めて良いものなのでしょうか。一度、国王陛下にお訊ねしてみない 事には・・・・・・」
「それは必要ありません、陛下は既にこの事をご存知です。 だからこそ私たち王宮直属の騎士が、この地に派遣されたのですから」
 ユーリスは真剣な表情でサラリと答えた。これには左右に腰掛けているジェイクとシルファー も絶句する。
( ユーリス・・・・・・次期国王が、そんなに簡単に嘘ばかりついてていいのかよ )
 ジェイクは気付かれないよう、小さくため息をついた。
「領主殿には、一切ご迷惑はおかけしません」
 この言葉だけは、紛れも無く彼の本心だった。 ショーンはしばらく考え込む仕草を浮かべた後、ゆっくりと顔を上げる。
「分かりました。陛下のご意志とあれば、喜んで協力しましょう。とは言っても、 私にはこの屋敷を提供する事ぐらいしかできませんが・・・・・・」
「充分です、本当に有難うございます」
 ユーリスは深く頭を下げた。ジェイクもそれに倣う。
 シルファーとエリック達は、驚きに目を見開いた。 いくら身分を偽っているとはいえ、王家の者が躊躇いも無く臣下である一領主に頭を下げたのだ。
「マイヤ」
 ショーンが名前を呼ぶと、彼の妻であるマイヤが廊下から現れる。
「皆さんを客室にご案内してやってくれ」
「分かりました。皆さん、どうぞこちらへ」
 マイヤは、普段と変わらない優しい笑みを浮かべて言った。 シルファー、そしてエリック達は、ソファーから立ち上がる。
「シレース領主殿、そしてユーリス殿、ジェイク殿、本当に有難うございます」
 エリックは、深く・・・深く頭を垂れた。他の騎士達も、彼に倣って頭を垂れる。
「あなた方の苦しみを思えば、宿を貸すぐらい何でもない事です。ご覧の通り古い屋敷ですが、 どうぞご自由にお使い下さい」
 そう言うとショーンは穏やかに微笑んだ。
「すべてが解決した暁には、必ず皆さんにお礼をさせて頂きます」
 シルファーは、心からの感謝の気持ちを込めて言った。 必死に涙を堪え、真っ直ぐに前を見据えて。
 残ったユーリスとジェイクが部屋を出ようと立ち上がった時、ショーンが小さく呟く。
「あなた方は、本当に父君に似ていらっしゃる」
 その声は、とても優しかった。
 ユーリスとジェイクは、ハッと顔を見合わせる。
( 最初から、すべて気付いていたのか・・・・・・ )
 ユーリスは小さく笑うと、ジェイクと共に部屋を後にした。


 レイブスの屋敷の中庭は、綺麗に手入れが行き届いている。初夏の今は、色鮮やかな花々が 咲き乱れていた。
 中庭の一部は菜園となっており、青々とした見事な野菜も実っている。恐らくはマイヤが 世話をしているのだろう。自家栽培で野菜を栽培する名門貴族の屋敷・・・・・・ 王都ではまず考えられない事だった。
 夕食までの間、ユーリスはこの中庭で一人、剣の稽古に励んでいた。日中のウレーネの一言が 、相当効いたのだろう。
 普段は穏やかな表情の彼は、剣を構えた瞬間から一変する。剣を振る事以外、何も見えていない ・・・・・・というのが正しいのかもしれない。
「ユーリス殿」
 背後から名前を呼ばれ、ユーリスは剣を止める。
「シルファー殿」
 ユーリスはニッコリ微笑む。いつもの彼に戻っていた。
 彼女はゆっくりと歩み寄ってきた。その顔は、わずかに赤く染まっている。
 ユーリスを捜しに来た彼女は、しばしの間声を掛ける のも忘れ、剣を振るうユーリスの姿に見惚れていたのだ。無理も無いだろう。普段は殆ど黒に近い 濃赤の髪は、真っ赤な夕日を浴びて惹きこまれる程に深い。 凛と整った顔に浮かんでいるのは、真剣な眼差し。無心に剣を振るい続けるその姿は、 ため息が出る程に美しかった。
「少しだけお話をしても宜しいでしょうか」
「ええ、勿論です」
 2人は、中庭にある小さな噴水の縁に腰を降ろした。

「ユーリス殿には、心から感謝しております。もしあなたに出会わなければ、私はあのまま・・・・・・」
 彼女は言いかけて、言葉を止める。目の前のユーリスは、穏やかに微笑んでいた。
「先程も言った筈です。あなたはとても強い女性だと。我々と会わなかったとしても、 あなたならば必ず自分自身で答えを導き出していたでしょう」
「ユーリス殿・・・・・・」
「ですが、間に合ってよかった」
「え?」
 シルファーは不思議そうに首をかしげた。ユーリスはにっこりと微笑む。
「あなたがすぐに答えを出せていたならば、今こうして私達が出会う事はなかった」
 ユーリスの言葉に、シルファーの頬が薄く朱に染まる。
「や、やっぱりウレーネさんのおっしゃる通りなのですね。あなたは、 女性なら誰でも口説くと・・・・・・」
「それはもう、性分ですから・・・・・・あっいや、その・・・・・・」
 ユーリスは、しまったという顔を浮かべる。それを見たシルファーは、小さく笑い出す。
「ほら、やっぱり」
「これだけは信じて下さい。あなたのように美しく・・・強い女性に出会ったのは初めてでした。 あなたに力を貸したいと言ったのは、紛れも無く真剣な気持ちです」
 ユーリスの表情は、先程剣を振るっていた時と同じだった。
 シルファーは穏やかに微笑む。
「私の事は呼び捨てて下さって構いません。堅苦しい言葉もやめませんか? ここはもう、 王宮ではないのですから」
「それは助かった。あまり王宮に居着かないせいか、堅苦しい言葉はどうも苦手でね。 俺の事もユーリスと呼び捨ててくれて構わない」
「ええ、ユーリス」
( 私は、あなたに出会えて本当に良かった―――― )





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