相倉(あいのくら)のプロフィル

相倉とは?
 ・ 富山県の南西部に位置し、平村の集落のひとつ。
 ・ 集落の周りは1000メートル級の山々に囲まれている。
 ・ 五箇山地内にしては珍しく平らな地形に家々が点在する。
 ・ 標高400m前後、南北約500m、東西約200m、広さ約18.0ヘクタールの区域である。
 ・ 冬の積雪は3メートル前後となる豪雪地帯である。
 ・ 江戸時代には、ここ相倉集落を含めた五箇山は、前田加賀藩の秘密の場所であり、
  地図には載っていない場所であった。
 ・ 伝承では、平家の落人がこの五箇山の地に安住を求めて隠れ住んだと伝えられている。
 ・ 昭和45年に国指定史跡としの文化財保護地域として位置づけられ、
  それ以後合掌造りは良好に保存されている。
 ・ 住民の家屋  21軒
 ・ 住民数    約70名


合掌造り集落とは?
  相倉には20棟余りの合掌造りが現存する。
  今から約100年〜200年前のものが多く、古いものは400年前に建造されたといわれている。
  屋根の勾配は急で60度。断面は正三角形に近く、雪が滑りやすくなっている。
  加賀藩政時代に煙硝養蚕和紙が主な産業でこうした作業に適したスペースを必要としたため、合掌造りが発展した。



相倉にある建物
   ・ 民俗館(1号館、2号館)
   ・ 地主神社
        江戸時代には薬師堂といった。現在の社名は明治時代に入ってつけられた。
        大正5・6年頃、本殿の造営に当たって、たとえ雪崩の下になろうと、お宮のためなら本望といって、
        大切な防雪林(雪持林)の良材を伐って建てられたという。
   ・ 東方の道場(相念寺)
        以前は祖谷本敬寺の下道場。
        天文年間に名の見える図書了観の家系の者が代々道場役を務めてきた。
        安政6年、現在地に本堂を建てるまで、家道場であった。
        昭和24年、寺号認許されて真宗大谷派相念寺となった。
   ・ 西方の道場
        真宗本願寺派、福井県万法寺の下道場。
        元禄7年、寂如上人より木像尊像を頂戴し、東山家の別室に安置した。
        安政6年、東方道場建立により、不要となった内陣を貰い受けて現道場が建てられた。
   ・ ふるさとセンター 運動広場
   ・ 民宿 8軒
   ・ 世界遺産相倉合掌造り集落保存財団事務所



相倉の歴史は?
  ・ 五箇山の歴史上の動きが資料的に明らかになってくるのは蓮如の本願寺とのかかわりにおいてである。(1471年以降)
  ・ 「五箇山十日講門徒連判状」(1552年)に相倉の「図書了歓」と「あいのくら太郎次郎」が連署している。
  ・ 江戸時代には五箇山では米が獲れなかったから、金納制で、金子(きんす)で収めていた。
  ・ 江戸時代の相倉集落では、春は養蚕、夏は煙硝、冬は紙漉きが標準的な生産構造であった。
  ・ 安政6年(1859年)東方道場が建立される。
  ・ 煙硝は明治時代に入って、藩制度の解体と南米チリから安い硝石が入り、明治20年には生産は廃絶した。
  ・ 和紙の生産も洋紙に押されてしだいに先細りになった。
  ・ 明治20年、道谷新道開通により往来筋となる。
  ・ 明治34年、さん明分教場ガ建つ。
  ・ 北海道開拓に相倉集落からたくさんの移民が出ている。
  ・ 昭和期になって木炭の生産が急増し、集落内にも炭を焼く人がたくさん出てきた。
  ・ 昭和21年、畑を開いて田とし、飲料水の余りで作付けされたのが最初とされる。
  ・ 昭和23年、仙道谷から用水路にヒューム管を敷設して水量を増やして開田した。
  ・ 昭和33年、相倉引込道路の竣功(延長810m、幅員3mcm)。
  ・ 昭和41年、相倉合掌造り集落の国指定史跡の申請。
  ・ 昭和45年、史跡「越中五箇山相倉集落」として集落ごと国の指定を受ける。
  ・ さん明 分校、本校へ統合。建物は公民館に転用。
  ・ 平成6年3月、相倉合掌造り集落「美しい日本の村」景観コンテスト農林水産大臣賞受賞
  ・ 平成6年9月、世界遺産に推薦。
  ・ 平成7年、ユネスコ世界遺産に登録される。
  ・ 相倉集落の戸数の変遷
        ○ 寛永年間…15軒
        ○ 宝暦9年…27軒
        ○ 天明3年…26軒
        ○ 天保10年…42軒
        ○ 明治4年…47軒
        ○ 明治20年…37軒
        ○ 昭和8年…42軒
        ○ 昭和57年…24軒


雪持林とは?

  集落の上の方は切り立った岩壁が大きく露出面を見せ、それに続いて急な斜面となっている。(写真)
  積雪の多い地域でもあることから、この急斜面には雪崩などから集落を守る原生林がある。
  この林のことを「雪持林」と呼び、ブナ、ナラ、ケヤキなどの大木が生い茂っている。
  また、この原生林は禁伐林ともなっている。






世界遺産の登録とは?
  平成7年12月、ユネスコの世界遺産条例に基づく「世界遺産一覧表」に登録され、世界の文化遺産としての価値が認められた。合掌造りが群れとなって並び立ち、ほかではみられない独特の集落景観をもつとともに、歴史的な背景と棚田など自然環境が良好に保存されていることが、日本を代表する歴史的遺産として高く評価された。
  日本では6番目の登録となり、住民が遺産内に住居していることから世界的にも珍しいとされる。このことから、見学には地域住民への配慮が必要である。
 地区内にある20軒の合掌造り家屋のほか、板倉や土蔵などの伝統的建造物群と、これらと一体となって歴史的風致を形成している石垣や雪持林などの環境物件が保存の対象となっている。




(財)世界遺産相倉合掌造り集落保存財団とは?
 <目的>
  ・ 世界遺産の永続的保存伝承を大きな柱とする。
  ・ 集落への来訪者から保存協力金をいただき、遺産保存に対しての理解を求める。
  ・ 住民の生活の場が遺産であることから、遺産の保存伝承と住民の生活環境の向上を図る。
 
 <事業>
  ・ 五箇山青少年ふるさとセンター等の設置及び運営
  ・ 地域住民の福祉の増進を図るための事業
  ・ 世界遺産地域の保存に関する事業
  ・ 世界遺産地域を守る人づくりに関する事業        
  ・ 世界遺産地域の学術的調査に関する事業
  ・ 世界遺産地域の周知広報に関する事業
  ・ 村有施設の管理運営受託事業
      

財団事務所は相倉駐車場横にあります。(写真の合掌造り)



皇太子殿下御歌

   平成3年歌会始めの儀(お題 「森」 )

     「五箇山をおとづれし日の夕餉時 森に響かふこきりこの唄」
        (地主神社横に皇太子殿下御歌碑があります。)

秋篠宮殿下御歌
   平成15年歌会始めの儀(お題「町」)
     「暮し映す合掌造りの町並を
      見つつ歩めり妹(いも)と吾子(あこ)らと」


      秋篠宮さまは、高校時代に初めて五箇山地方を訪問された。
      平成13年11月、五箇山に滞在した際には、
      「子ども を連れてまた来ます」と話されていた。
          ※ 妹(いも)とは「妻」のこと。



お願い
   ◆  集落内は禁煙です。
   ◆  屋敷内、田畑、あぜ道など生活範囲へは
     
立ち入らないでください。
   ◆  住民の車が通行します。道を譲ってください。
   ◆  早朝と夕暮れ以降の見学はご遠慮ください。
   ◆  ごみは持ち帰りましょう。


(以上、平村史などを参考)

民宿のご案内

民宿の名称 電 話 収容人員
(合掌)勇 助 0763−66−2555 15
(合掌)長ヨ門 0763−66−2755 15
(合掌)庄 七 0763−66−2206 15
(合掌)与茂四郎 0763−66−2377 15
(合掌)五ヨ門 0763−66−2154 15
(合掌)なかや 0763−66−2457 15

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