民話・伝説
金色に輝く「阿弥陀如来様」 



 正徳元年(1711年)8月、奥飛騨角川河原の「光明が淵」に流れ着いた金色に輝く仏像を住民が発見した。

 住民たちは尊い仏像を安置しようとして拾い上げようとしても重くて持ち上がらない。
 力自慢の男が持ち上げてもびくともしなかった。

 同じ頃、越中五箇山相倉に住んでいた図書受慶(ずしょじゅけい)は、夢枕に阿弥陀様が現れ「私を拾い上げて五箇山へ運んでください」というお告げを受けた。

 翌日、受慶は夢のお告げどおり角川に向けて出発した。「光明が淵」の恐ろしく深い淵の河原に夢のお告げどおり金色に輝く仏像を発見した。

 仏像に向かって「阿弥陀様、お迎えにまいりました」と声をかけると、ふわっと浮いて背中に負ぶさってきた。

 角川の人々に夢のお告げの話をしたら、みんなは手をたたいて喜んだ。
 受慶は仏像を大事に背負って五箇山の相倉まで持ち帰り、自宅の奥座敷に安置した。。

 数日後、再び夢の中に阿弥陀様が現れて「本敬寺へ運んでください」というお告げを聞いた。そこで翌日夢のお告げどおり仏像を届けた。

 本敬寺では、今でもその仏像を大切に安置している。

 仏像は聖徳太子の自作とされ、毎年、本敬寺では「聖徳太子法会」を行っている。
現在の光明が淵



廿日岩(はつかいわ) 

地主神社境内下に幅2メートルくらいの岩がある。 
3月末から4月にかけて南風(みなぎり)が吹くと、雪の中から黒々とした岩が頭を出すようになる。

そのときから数えて20日ほどしたら集落内の雪もほとんど消えてしまうのである。
このことから、村人たちはこの岩のことを廿日岩と呼んでいる。
この伝承から、長い冬に飽き飽きし、雪が早く解けてほしいと願い、春が待ち遠しい村人たちの思いがうかがえる。



天狗の巣のとんがり岩

集落の北側のにひときは高くそびえるているのがとんがり岩である。(左写真の山の右端)
そこには天狗が住んでいて、天狗の巣がある。
大きな穴があって、奥に入ったら急に広くなって明るくなっている。
その奥の方には座敷があって、金の茶釜からお湯の沸いた音が聞こえる。
どぼどぼと天狗がしゃべる音も聞こえてくる。

岩場は崖になっていて人間は近づけない。



とんがり岩に住む天狗はおいしい湧き水を求めて、毎日、庄川近くの漆原集落まで往復した。
また、天狗は向かいの「島の山」まで軽く飛ぶことができた。

天狗の巣の洞窟は風穴となっていて、集落の南側にある猿滝の岩穴に通じていた。
猿滝の岩穴で焚き火をしたら、とんがり岩の天狗の巣から白い煙が出た。
ここに住む天狗は時々人をさらった。





天狗さんにさらわれる(その1)

  上平村の皆葎(かいもぐら)の「じょうもん」という者が天狗さんにつかまった。
  相倉のとんがり岩で天狗さんと暮らしていた。
  一度だけ村に帰ってきたが、昼過ぎになって雨が降りそうになると、
  「豆などをむしろに干してあるから帰らねばならない」
  と言ったまま、それっきり村へは戻ってこなかった。
  (写真は春祭りの天狗獅子)






天狗さんにさらわれる(その2)

  春先に獅子舞の稽古をしているときであった。
  相倉のとある家の母親がフイと出たきり、どこへ行ったかわからなくなった。
  川の中や山の中を探したが死骸は見つからなかった。
  昔からその家は天狗さんに救われていった家系であった。
  だから、その人も天狗さんに救われていったに違いないと語られるようになった。



天狗さんの足あと

  長ヨ門の玄関前に2メートルばかりの細長い岩が横たわっている。
  天狗さんがとんがり岩から川向かいの「島の山」まで渡られるときにこの岩に足がけされた。
  天狗さんはとんがり岩から空中で一回転してこの岩に左足をつけ、さらに一回転して向かい山へ飛んでいった。
  その時、岩に足がくぼんで天狗さんの足の形がそのまま今でも残っている。
  (写真は天狗が左足をついてできた窪み)






天狗さんの太鼓

  山仕事をしているときに日中からでも「ズンズク、ズンズク」と地響きするような音が山々に響く。
  天狗さんが太鼓をたたいていらっしゃるのである。
  それを聞いた者は腹の底から気持ちが悪くなり、仕事をやめて山をおりることにしていた。

  炭焼き小屋で寝ていたときに「ドドンドン、ドドンドン」と神主さんがたたく太鼓と同じ音がなった。
  夜になる太鼓は天候の変わり目によくなった。
  天狗さんは天候の変化を教えてくださった。



夫婦けやき

  相倉の近くの山に幹が二つに分かれたけやきの大木がある。
  そのけやきの根は大きな岩を抱え込んでいる。
  窓木といって窓のようになっているところもある。
  ここにも天狗さんが住んでおられた。
  このけやきへの木登りは絶対してはいけない。
  何も知らないで木登りをした子供はふるい落とされ、大けがをした。
  朝、山仕事で横を通るとき「今日も無事に働けますように」と願いをこめ、
  夕方の帰りには「ありがとうございました」と手をあわせている。

 大きな雪崩はここまで来て止まった。






弘法さまの教え

  昔、弘法様が姿を変えて相倉に来られた。
  一人の老婆に「水をくれ」と声をかけられた。
  老婆は「下の村へ行ってもらえ」と言って空の椀を投げつけた。
  それ以来、下の見座村に湧き水がたくさん出るようになった。
  相倉には水が少なくなった。



弘法の水

  集落の南の下に大きな岩がある。
  その岩には直径40pくらいの窪みがあり、そこには年中絶えることなく水をたたえていた。
  村人は「弘法の水」と呼んで、この水をやけどや傷を治すのに用いた。
  蚊にさされたあとにつけるとよく効いた。
  岩のそばにあった桑の大木を切ったところ、水は枯れてしまった。
  岩の窪みは今でも残っている。






猿滝(さるだき)

  「ゴー、ゴー」と音を立て夏でも涼しい10メートル余りに滝があった。
  大木が滝を囲むようにしていたので日中でも薄暗かった。
  気味が悪くて一人だけで近寄る者はいなかった。
  よくそこへ猿が来て遊んでいた。
  しかしその猿でさえ、この滝の岩場を登ることができなかった。
  山に道路をひらいて谷川が荒らされて滝はなくなってしまった。




耳谷(みみんだん)

 
 その昔、この谷に耳のある蛇がたくさん住んでいた。
  村人はそのあたりを「耳谷」と呼ぶようになった。
  今でもその地名は残る。




蛇池(じゃいけ)

 
 仙道(せんどう)から流れてきた水が池になっていた。
  あんまり水が多く深いことから気持ちが悪いので「蛇池」と呼ばれるようになった。
  現在の民俗館2号館の下の方にあった。




油池(あぶらいけ)

  仙道から流れる谷川に大きな石で堰き止められたきれいな池があった。
  池の表面にはきれいな模様ができてまるで油が浮いているようで七色に光っていた。
  昔の子供たちはここへきてよく泳いだ。
  子供の背丈以上の深さがあったが、水の事故はなかった。
  水が冷たいので長時間泳ぐことができなかった。池の中には岩魚が泳いでいた。



人形山(ひとかたやま)の残雪

  相倉集落から庄川を隔てて人形山が高くそびえている。
  5月ころ、その人形山の中腹に残雪がくっきりと2人の雪型を現す。
  村人からは「爺さんと婆さんが手をつないでいる」という言葉が出てくる。
  つないでいる手が切れたら、そろそろ野良仕事から、
  コガイ(養蚕)の仕事の準備にかからなければならない。






狸の嫁入り行列

  新月の夜に、明かりのついたちょうちんを持って背中にたんすをかついだり、
  畳をかついだりした行列を数回見たことがある。
  それは狸が化けていたのである。
  子供みたいに背は小さかったが、重いものをかついでいた。
  狸が人に化けていても、履物をはいていなかったからすぐわかった。




狸の枯れ葉投げ

  三日月の晩にちょうちんに明かりをつけて歩いているときだった。
  右手斜面の雑木林からガソゴソと音がした。
  と同時にちょうちんの明かりがすうっと消えた。
  あいにく火をつけるものがなく、しばらく真っ暗な状態が続いた。
  そのうち、斜面の上のほうから枯れ葉がつぎからつぎと投げつけられてきた。
  逃げても追いかけて枯れ葉を投げてくるので、頭をかかえながら暗い夜道を逃げ帰った。
  あの生き物の影からからすると狸のいたずらとしか思えない。




すもう

  ご馳走になって酔っぱらった人が家へ帰るとき、ひとりの男と出会った。
  男は「すもうをしよう」と言ったので、ふたりはすもうをとった。
  ひと晩中すもうをとったが勝負はつかなかった。
  白々と明るくなってすもうの相手が見えるようになってきた。
  相手は木の切り株であった。




火柱
(ひばしら)

  その昔、夕日が沈み暗くなりかけて、相手の顔が見えなくなったころ火柱がよく上がった。
  火柱は、相倉集落の南側と北側の山手の方でよく見かけた。
  下から音もなくすうっと上がって、かなり上へですうっと消えた。
  火柱が上がると不吉なことがあるといって、特に火の用心には気をつけた。
  火柱を見たものは災難にあわないようにしばらく気をはっていた。



(「五箇山の村 相倉民俗誌」などを参考にした)

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