山崎しい老

戦後多くの郷土史家等が五箇山を訪れ、山崎しいにインタービューしました。 そのなかで、昭和28年1月、72歳で野上良一(北日本放送)が インタビューしたものがあります
(あなたはどこまで意味がわかるでしょう? ちなみに、わたしには90%くらいまでしか わかりません)

いやぁねぇ、そのじぶんにはや
「こっけらこ」をはや、つたやっちょるって
もーそがんしっとる人が
なかったがやらしいがや
「はーそうですかね」
そって、おらが、なーん、あんた
10(とお)でもないな、10か9(ここのつ)
学校ってゆうても、そのじぶん
今みたいにきびしく
でよでよって、いわれんが
やっぱ、ちょこ、そーそー
生活の楽な人が出るがで
そして家(うち)に
おらがお里に、いつもその
ざいしょに、貧乏な、まじめなうちがあって
そのうちの年のいった
80、90、あったろーわいな
やっこう、頭のはげた
小さい、じーさんが、棒ついてこう
うちの、おらがお里のこう
めぐらの草むしりに、たのまいでもこられたがや
そして、きてさいの
おられりゃ、たべものら〜くに
食べさせていくもんで
たべられるさかいで
そして、いつもその
こられたがですっちゃ
そして、その人がとてもひょうきんな人で
子供ももたないでおった人やがいれど
いつもそして、そのあんた、たばこを
昔はその、いつもたばこを
あの、作ってしとったもんですてね
そしてらーくにたばこを
そして、そのおらがお里に
たばこをたーくさん作ってあったら
なーもあんた
奉公の人がみーんなたばこのまれたが
そして、その人もらーくにたばこなんか
のむががけっこで
やっぱ、こられたがですっちゃ
そして、そのたばこの
草むしってっちゃ、ちょっこいっぷくしてって
休んでっては、その
キセルと、棒でもなんでも
この、「こっきりこ」の竹をたたいて
それが、またそのーおらが
そのおじいさんのところ、あざけに行くがや
そしていてっと、あんた
そして、そのおじいさんが
「こっきりこ」をうとうて、その
竹をたたいたり
おらに教えたりして
いっつもあそんどったがで、ございますっちゃ、はい
そして、そのじぶんになろたことが
やっぱり、いまだに
忘れないで、ちょっこ
年いってから、なろたことは、忘れてしもたれいど
子供の頃のこといって、あんた
やっぱりそんな
「こっきりこ」 でも、ちょこ私ね
うたえるがですっちゃ
「どうですか?今の「こきりこ」
そのころの「こきりこ」 ってのは
やはり調子が違うんでしょうね」

いや、そうでもありませんよ
「そうですか、はぁ」
あれでまぁ、やっぱり
これで歯のある人は、息ながーらと
うとてきゃ、あんなもんですけど
おらに、今うたえっておっしゃっても
なーもあんた、さーなんせはや、
としいったらねぇ
「はぁ」
いき、みじこなってあんたはや
ほんの、ほんの、かたちしか
だんだん、いえませんですっちゃねぇ
「おばあさんの子供の頃の五箇山と今とでは、随分と
違うと思うんですけれども
昔は電気も無くて、
いかがでございました?」

やっぱし、あんた、蚕と紙とねぇ
おおとねぇ、おおっていや麻ですっちゃ
「それをこちらでお漉きになる・・」
「あーそうですか、やっぱり最近はその
なさらないんでしょうか?」

今ではほとんどしませんね





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山崎しい老






山崎しい老の旦那さんです

そらのおじいさん



「専業のほうも、ございますね
昔はもう、他の町に出るのにもこう
大変だったでございましょうね
その頃のみなさんの楽しみってのは
どういうもんでしょう」

そりゃ、楽しみっていやぁ
まちにでるっていやぁ
よるもごうもでんならんもんでしたさかいに
こっとんと、なーもあんた
まちの事なんて知らんくらいのもんでしたわいねぇ
「ははぁ」
大抵、さいさいおやじが
でりゃ、でたってもんでして
おんなしゅうが、なーんあんた
まちにそがに出るってもんは、ないもんでしたわいねぇ
「ははぁ」
おらが、あいでまぁ20(はたち)の頃になったら
この福光の、あーらなんてゆうとこじゃったいな










・・・以下、作成中です

そらのおじいさん

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