◆越中五箇山物語◆vol.30

※文章は五箇山在住の方から頂いたものをエッセイ式に掲載しております

ケヤキのちゃぶ台 ~サヨナラダケガ ジンセイダ~

 新緑の香りをのせた風が山間を吹きぬけ、こきりこの唄が静かに流れる。
 八十八夜も過ぎた、5月10日、こきりこ唄保存会第四代会長 坂本義明氏の葬儀当日は、悲しみに沈んだ心をせめて慰めてくれるかのような青空だった。
 このことについて、書くか、書くまいか、迷っていたのであるが、会長の人生に拍手喝采を送るという意味で・・・。

 おそらく同年代の地区の子供たちにとって、坂本会長は、自分の父親とはまた別の、例えずともそのまま『サカデのトウチャン』であった。
 こきりこを中心に集落が回っている上梨では、『いや』も『オウ』もなく、小さい頃から『こきりこ』があたりまえ、ということは前回までに濃淡申し上げたと思うが、遠いところに出向しても、大きなイベントをぶち上げても、会長以下、みんな真剣に、かつ楽しんで、こきりこ保存会として、誇りを持って活動していた。
 その賑やかな輪の中心はいつも、会長だった。
 例にもれずというか超・小子高齢化の戸数30余の小さな集落において『強制している・されているという被害者意識』もなく、しかも楽しみつつ、伝統文化を受け継いでいられるという事は、現代の社会においては実に「奇跡《に近い事ではなかろうか。
 それは多分大人たちの立場からしてみれば、ある意味『こきりこ』を介して、集団を守り、次世代を育ててゆく、いわば『種を守る』ということではなかっただろうか。
 私の世代から言わしめれば、そんな風に、地域の一員として自分たちを育ててくれた『お父さんの1人』が、坂本会長だったのだ。
 昨年は、韓国・ソウル、台湾・台北で2公演を成功させ、これから世界へ飛翔たかんとしていたそれは矢先の事。
 本音は、やはり無念があったのでは・・・と思う。

 若い世代に伝えたかった事、やり残された事がまだあったろう。
 決して偉ぶる事もせず、皆から慕われ、惜しまれつつひと足先に、この世から旅立った。
 “逢うて別れがなけりゃよい・・・”と言いつつも、これは我・人、関係ない約束事でもある。
 『大人』になった私たちではあるが、今はただ、『あいそもなさ』に耐えるしかない。
 カイチョー、ありがとう。
 会長がご自身の人生でもって示してくれた、地域への思い。伝統に誇りをもつということ。
 そのように稀有な存在感を持った人物にわが人生で出会えた、そのことを感謝し、次世代に伝えたい事、伝えなければならない事、これを機会として見つめてみようと思います。
 たとえ姿は見えずとも、どこへ行っても、『こきりこ』があるところ、カイチョーがいる、と思っています。

君に勧む 金屈巵(きんくっし)
満酌 辞するを須いず
花開けば 風雨多し
人生 別離足る
・・・『歓 酒』邘鄴(うぎょう) 作。

(この日本語訳が井伏鱒二作『サヨナラダケガ人生ダ』)

コノ サカヅキヲ ウケテクレ
ドウゾ ナミナミ ツガシテオクレ
ハナニ アラシ ノ タトへモ アルゾ
サヨナラダケガ ジンセイ ダ ※

~長い追記~
我が家には、坂本会長が作ってくださったケヤキ製のちびっこいちゃぶ台、主人曰く『アキさんのつくえ』があります。
 工房で作りかけのそれを見つけ『いくら?』ってきいたら、ニコニコ笑いながら『わーり、モタモタゆわんと50万 程出しぇまー』って言われ、ドキッとしたのはさて、いつの事だったでしょうか。
 知人と会長の話をしていたら、身内以外で、こんなに 悲しいのは今までの人生ではありえなかった、と。
 更に、『偉いとか偉くないとか、そんな次元じゃなくてさ、ホント偉大な人だったよ・・・』とも。
 悲しみの度合いは、その人物と我が身との関わりの深さであり、思い入れの強さでもあります。
 現代が置き去りにしがちな、『心豊かでいられるということ』を、関わった皆が、しかも自然にそうなってしまう、なんともフシギな人間力を持つ方でありました。 で、結局のところ数万円しか払わなかった、そのちゃぶ台。
人に手紙を書いたり、子供とお絵かきしていますが、接着剤のはみ出しも、実はバランスが悪くてすぐひっくり返るということも、そこかしこに坂本会長がニコニコ笑っているような、そんな気がして。

あんにゃも のみゃりか 三笑楽
ムタムタとゆわんと ほりゃ のみゃり
花じゃの メロじゃの ウツクシいゆうてもやがての事じゃ
会うたら 別れる アタリマエのコトじゃ

勝手に五箇山風・ゆっけ 作

6月10日

文章:@ゆっけ   2007.6

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