◆越中五箇山物語◆vol.29

※文章は五箇山在住の方から頂いたものをエッセイ式に掲載しております

明日は田の中、畦マクラ 〜Tomorrow never knows〜

 佐渡島にいる鳥、奄美のウサギさんなど、希少な動植物を「絶滅危惧種」といって保護する政策があるそうだ。
 五箇山にも、毎年巣をかけたとか、卵を産んだ、それがカラスにつつかれた(あらカワイヤ)、その一挙一動がモニター観察され、なにかと話題を提供してくれるおイヌワシ様があらせられる。
 また、歴史的建造物や芸能なども、有形・無形それらの種類・形態・文化的重要性を鑑みて、国や県の補助が適用される。
 で、本題。
 この地域の春祭りや祝いの席で、宴も酣(たけな)わになると何処からともなく、誰がともなく歌い踊りだす「マイマイ」や「オッシャカ節」。それに夜獅子の後に輪になって踊る際の「ほんまわり」通称「ショイショイ」。
 つまり「目連尊者地獄巡り」や祝言の「嫁入りえたこ」 などに代表される、「謡い」の部類に入るであろう、伴奏 なしの唄、これらを歌い、また幾題も歌詞を知っている、 あるいは踊れると言う「世代」、それから「踊る地域」が 縮小傾向にある。
 こういうことについては今後どうしてゆくのが適切なのであろうか。
 保存会演目としての唄や踊りは、いろんなところで紹 介される機会がたくさんあるが、舞台では紹介されない 唄というものは、触れる機会も少なければ、ましてや練 習する理由もない。結果、忘れ去られることになるので はないか、というある種の「危機感」を抱いているのはおそらく私だけではないと思う。
 今回の題材については、知らない方は、興味を持ってくださればいいし、知っている方には、何というか、懐かしんでくださったらいいかな、と言う事で。
 
 「目連尊者・・・」とは、釈迦の四大弟子のひとりである目連が、自分の罪を背負って地獄に落ちた母親の、その後の消息を巡り歩く旅日記(簡単に言えば。で、長いんだ、これが)のことで、これを独特の節まわしに合わせ、これまた難解な振付けで延々と踊るもの。春祭りの夜獅子の後に歌い踊られる事が殆どだ。

♪ときにもーくれん なげきーのなみだー
ながすなーみだを おそーでで ぬぐーいーい  

 「嘆きの涙」と言っていることからも、どちらかというと悲しい内容の唄。
 ショーイショイ & ドッコイドッコイ の、って威勢のいい獅子舞連中の掛け声がとても賑やかしいから、小さい頃は楽しい歌だと思っていた。
 で、それが始まる頃は夜更けも夜更け、ラッパスピーカーから聞こえるのは伴奏なしの音頭取りの唄声。
 獅子舞太鼓の重厚な響き、横笛・鐘の甲高い音、ハナ読みの名調子、これらによって高揚した人々の気分を鎮めるかのように山あいに響く。
 「あーあ。祭りも終わりかー。」
 夜の12時を回り、眠くて半分トロクロ(注1)になりながら、提灯の燈るお宮さんの境内に後ろ髪を引かれつつ家路へ。
 空を見上げれば、山並みの黒い稜線が、月明かりに映し出されて。どの家も座敷まで煌々と電気がついていたのに、今はすっかりお休みモード。玄関先の雪洞のあかりだけが、所在無さげに夜更けの風に揺られ、布団にもぐってもまだショーイショイと掛け声が聞こえてくるのは、果たして空耳なのか。
 
 さて、マイマイ。
 これはまた、単純明快、手をつないでぐるぐる廻り、中の1人が唄い、後の全員で一題の最後の節を復唱する。
 (坂本九氏が五箇山にいらした時のエピソード参照)
 これは歌垣(うたがき)というそうで、民俗芸能の始まりの形、元祖でもあるそうだ。
 何年か前、隣県の某紙上にて紹介された事があったが、その書き出しが言いえて妙。
 「民謡で有名な五箇山に、卑猥な唄がある。」
 ・・・てか、ミョーに含みがある。
 「トンネルを抜けたら、五箇山だった」
 とか、そういう書き出しなら格好良かったのに、ヒワイな唄がある、って言われてもねえ・・・。

♪盆じゃ盆じゃと 待ったが盆じゃ
待ったシェい(甲斐)もない はや済んだ (×2回) 

 ―幾日も前からみんなが来るのを楽しみにして昆布巻するやら、赤飯炊くやら。よー忙しい目におうて。いざ盆となれば、嵐のように過ぎ去って、みんなまた行ってしまった。―
 
 待つが華、とはよく言ったもので。
 特に昔は、今と違ってお盆くらいしか遠くへ行っている人(あの世からも?)が帰って来ず、待つ人、来る人、それはそれは、楽しみで特別な日だったのです。  

♪逢うてうれしや 別れは辛い
逢うて別れが なけりゃよい(×2回)  

 ―それでも出会ってしまった以上、いつか別れるときが来るんです―
 
 うーん、コバシい。泣かせるね。
 サン・テグジュペリの「星の王子様」で、狐が王子に語る場面と意味が似ている気がする。
 戦後「名をつけようならお小夜につきやれ・・・」の歌詞が加わり「お小夜節」として現在はもっぱら紹介されている、といえば旋律はおわかりか。  

下へ下へと 枯れ木を流す
流す枯れ木に 花が咲く
 
アカオ照る照る シタジマ曇る
下のウルシタンは 雨じゃソナ
 
ムスメ子でない 嫁こそ子なれ
ムスメ他国の 人の子じゃ

 と、私が知りうるだけならこんなふう、昔の唄本を紐解くと全部で70題ほどの歌詞がある。
 それに、なんというか、ふと想像力を働かせてしまうような内容の歌詞もありますな。  

今夜行くワイ 寝床は何処じゃ
東枕の 窓の下  

で、返歌としてか、こう続く。(あるいは「オチ」か)

東枕と聞いてはおれど
「何処が西やら東やら」  

 ・・・暗いからよくわかんなかったよ、僕。ぐすん(涙)
 
 大体お日様が出てない闇夜で、西も東もわかるもんですか。  

よんべ(昨晩)夜這いショ(人)が
二階から落ちて
「猫の真似して ニャオニャオと」  

 ・ ・・そーか、猫か。
  って、んなわけないでしょ。猫かぶって、啼いてごまかそうったって、そりゃあーた、無理ってモンよ。

肩から傘をば 下げたような乳を
「しかと握ら(な)いで 今くやし」  

 ・・・後悔したって、今更おそいんだ。あの娘はヤツと・・・。けどさー。(イジイジ)
 
 ナイスなバディっ娘は、今昔問わず世間を惑わせます。
 
 で、先述の記事、「五穀豊穣を願う事と、子孫繁栄を願う事は、つまりは同じなのだ。」という締めくくり。
 でも、「どこが西やら東やら」わからない人とか、「猫のマネして」啼いた人とか 「しかと握(らな)いで今悔し」かった人とか、そんな人たちばかりではない、ということは断りとしてつけておこう。
 
 1年に一番の賑わいを見せる、「こきりこ祭り」がつい先日終わったところであるが、マイマイやショイショイまでは紹介されることはない。
 何でも見せればよいというものではない、見せればそれで即ち保存に繋がるかといえばそうでもない、ということもわかっている。
 特に「年中行事」に関係するものは、それらが生活形態の上で「意義」や「規模」が時代の流れに従って縮小すれば尚のこと、伝承文化も消えゆくものなのか。
 それでも、このような、余所行きではない、本当の五箇山の姿が、このような唄達に垣間見えるような気がしてならないのだ。
 これら「消滅危機にある唄」を今こそ謡い継いでゆくことこそ、大事な事と思うのは頑な過ぎるであろうか。
  そういえば、約30年前。
 私が小学校2・3年の頃の「こきりこ祭り」は今ほどメジャーかつ盛大ではなくて、のど自慢コンクールには地元小学生がいわゆる“サクラ”として駆り出された事もあったほど。 わらち何でもいいから歌え、かわいらしいからみんな手たたいてくれる、伴奏なしならなお良い(その方が地方衆がラクチン?)とか何とか、その時私が歌ったのが、このマイマイ。

今夜ここに寝て 明日の晩はどこじゃ
 明日は田の中 畦マクラ(×2)

  ・・・今日この日は無事にすごせた。
 明日は明日の風が吹く。

 NHKからのど自慢大会用の鐘まで借りてきとってから、マイマイ歌わすなよー。
 そこらじゅうのお家の味噌が腐るじゃありませんか。
 しかしながら、裏方さんが、地域の子供も巻き込んで、祭りを楽しもうという大らかさが、今日の人気の礎石になっているのかも、と締めくくれば、「手前味噌」も過ぎるか。
 五箇山民謡に限らず、現在日本各地に伝わる伝統芸能は、もともと都で発祥したものが各地方に伝わり、それを自分たちの住む風土や生活習慣に合わせ手替え品替え昇華した結果、今日の独自の文化として残されたのだそうだ。 忘れ去られ、文献でしか見る事のできないものも、多かろう。
 でも、この地域は、まだまだ、古いものを大切にし、その多くを受け継いでいる、稀有な地域でもあるのだ。 今後、五箇山の民俗や文化がどう変遷するか、自分より若い世代、特に平高校のみなさんの活躍、老若男女、子供達までもがマイマイの輪に入り、歌い踊る、そういう姿を見ていると楽しみでもある。

  “TOMORROW NEVER KNOWS” (注2)



  注1 トロクロ・・・
 夢か現か、寝ぼけてる様子。そういう素振りをわざとする人を、後ろゆび指すときにしばしば使われる。
 
 注2 TOMORROW NEVER KNOWS・・・
 古くはビートルズ、最近ではミスチルの歌のタイトルで、内容的には多分、
 “だれにも明日の事はわからない”
 というような意味をさすと思われる。


文章:@ゆっけ   2006.10

※写真はイメージです

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