◆越中五箇山物語◆vol.28

※文章は五箇山在住の方から頂いたものをエッセイ式に掲載しております

巷で何かと話題の「土徳」について・〜私なりの考察〜
 

 私は、自他共に認める、ばあちゃんっ子。
 「子供」に対しては責任があるので、ある程度厳しくなるが、「孫」は目に入れるほどかわいがる、イコール甘やかしがちになるので、「爺ちゃん婆ちゃん子は三文安い」と評価されがちの。
 核家族が当たり前の世の中で、小さい子供を、家のじいちゃん・ばあちゃん達が見守っている、というのは、五箇山に限らず、田舎と分類される地域や山間地では、日常的。
 両親は自営・勤め人係わらず「共働き」、そんな親の背中を見て育つせいか結婚してハイ専業主婦、子供を持ってハイ育児休暇、なんていうこともなく働ける人が多い、と思う。
 (私の場合に限って言えば「母性の欠如」?)
 
 で、標題の「土徳(どとく)」。
 そもそもの始まりは、柳宗悦(やなぎ・むねよし)※1が、バーナード・リーチ※2と共に当時、棟方志功が疎開していた富山県の砺波平野部や五箇山を訪れた際、「ここには『土徳』がある」と語ったその「土徳」が、ここ最近、なんだかの観光シンポジウムや、南砺市議会議員の勉強会のテーマにピックアップされるなど、今更の感はあるが、注目されだした言葉。
 五箇山に真宗の聴聞を広めた蓮如晩年の高弟「赤尾道宗」の生きざまにいたく感銘を受けた棟方志功が、道宗二十一箇条の一節「後生の一大事ゆだんあるまじきこと」という版画「妙好人赤尾の道宗 臥伏の図」を彫り上げた事は、有名である。
 で、そんな「リバイバル的」な「土徳」という言葉の意味を、知ったかぶるのも癪にさ わるので、念仏と言えば、御年81歳の、誰彼かまわず念仏第一のパワフルな祖母(方言 の採録に来た富山大学の人文学部の面々に「五箇山の方言・歴史勉強しゃるがなら、浄土真宗から勉強さっさい」と言い、一向・・・ではない、一行を困らせていた事があった)ならわかるかもと、こう問うてみた。
 「ばーちゃん、ばーちゃん、『土徳』って、何?」
 「あ?『土徳』ってわりゃー、まーた太田のボンサマ※3の話な」
 「いやいや、太田のボンさまの話は・・・ありがたすぎて・・・」
 (今更『聴いた事なーい』とは言えない。でも件のお坊様の名前が即出てくるなんて!)
 「そんなモン、あるがじゃいら、無いがじゃいら。『そこにほりゃ、あるないか』って、 見えんもんじゃでな。」
 「いやいや、例えば『人徳』は、とある人が、他人から尊敬される部分でしょ。じゃあ、土徳は?その土地の、他の地域から尊敬される部分?ってーことは、今の話し、太田のボンさまが話す事だから、今も念仏が盛んだ、それが他の地域では薄れた、今は五箇山にある、『土徳』と言う事?」
 「そーじゃなぁ、念仏申す、申さんばっかでない、言うてみりゃ、そのジブンは五箇山に、土地の力みたいなモンがあったがじゃろ。ワラチ1回太田のボンさま呼んで話し訊きゃーどうじゃい」
  確かに、それが一番早いんだけど。
 でも、件のお坊様をご招請申し上げて講演会を企画したら、オメヤカシ持って来るか、「会場どこじゃったいか」って、間違えてどこかの道場サマにでも行こうものなら・・・。
 それに、「真宗」なのに、鶏が先か卵が先かっていう「禅」問答みたいな話の袋小路に入りかけたので、そのうち止めてしまった。
 曰く、「念仏申さん、寺にも仏壇にも参らん、そんなモンと話ししてもダチカン」と。
 結局私が何もいえなくなってしまったのだ。つけ焼き刃では理解は無理ってことになるんかね。
 ただ、それが五箇山は今南砺の一部であるから、100歩って「土徳」が南砺にあると仮定しても、即ち「観光」に結びつくなんて安易過ぎやしないか。
 後日、同世代の僧職の方に、そんな話を持ちかけたら、こういう率直な答えが返ってきた。
 

  >「土徳」とは、何百年もの歳月をかけて培われた真宗の風土であり、
 真宗の教えと乖離した現在の南砺にとって「土徳」の発信は無意味である、
 というのが私の見解です。
 
 バーナード・リーチは、平野部を見た後、五箇山に来て
 「ここには土徳がある」と言ったそうです。
 平野部に比べれば、五箇山にはまだそれが残ってい
 けれども、今は随分と衰退気味なのではないでしょうか・・・。
 
 「報恩講料理」もしかり。今、飲食店で出しているのは
 報恩講料理の模倣であることを、観光客にしっかり説明す ることが、五箇山観光の義務であると思います。  
 信心のないところに出てくる報恩講料理は、味は一緒でも   
 単なる郷土料理。お斎は仏事なのです。
だから、 観光客に
 「あなた達は、五箇山の報恩講を体験できないんです。 疑似体験しているんですよ
 とはっきり言うべきだと思います。それが嫌なら、
 「五箇山の精進料理」として発信するべきです。
   いずれにせよ、  
 「五箇山観光真宗風土
 =住んでいる私たちがどのように真宗をいただいているか」  
 
 これが常に突きつけられていると思います。
 真宗の教えは「自分の頭が下がる」ところから始まるのです。


 念仏者は語る言葉の重みが、信仰に対する思いが違う。(唸)
 この解釈をプロパーとするなら、バーちゃんのはバーゲン念仏か。
 という事で、悔しい私はこう考えた。 普通、私たちは、親や学校の先生など、直接的に人の手によって育まれる。
 が、五箇山。周囲の人物との関わりによる「成長」のほかに「土地」によって育てられる、言うなれば人格形成に多大な影響を受ける部分が、他の土地よりある(あった?) のだ。
 間違っても、対象は「お寺がたくさんある」とか「民謡がたくさんある」とか「報恩講の御膳は立派」とか「優しい爺ちゃんやばあちゃんがござる」という「そのモノ」ではない。
 それらを通して学んでゆく、爺婆から孫へ、親から子へ、姑から嫁へ、受け継がれる何かがある、続く何か、変わらないこと。
 漠然としているが、大事なのはそこだ。
 合掌造りが「ハードウェア」なら、土徳は「ソフト」。
 自分のために生きる事、それが、地域を息づかせる事に直接結びつき、土地が人を育む。
 五箇山で、その媒体を果たしていたのが、「真宗の教え」。
  南砺には、「土徳」があるの、そりゃすばらしい、私たちも「土徳」をやろう。
 「土徳」を作ろう。お客さんに来てもらおう。
 そんな安易な、昨今で成り立つはなしでは、決して「ありえなーい」んだね。
 
 小さい頃、いちばん怖かったのは、地獄へ落ちる話しだ。
 悪い事ばっかりしてた私が悪いんだけど、「針山を登らされる」とか「舌を抜かれる」とか。ご丁寧に、そんな絵本まで買ってくれて。
 なにかやらかして思うように行かなくて暴れていると、「そんなもん、わりがヘーゼイゴージョウ(平生業成)がダチカンがじゃ」とか。
 好き嫌いの有無を言わさずご飯を食べさせてくれるように、孫がわかろうがわかるまいが、
 ナンマンダブツ、ナンマンダブツ。仏様の教えを話して聞かせながら。
 子供が間違った方向へ進まないように。
 人に対して、優しくあるように。
 身の丈を知りなさい、当たり前のことを大切に思いなさい。
 よい事は、良いことで、お天道様に背を向けたら向けたで、必ずワガメ(我が身) に還ってくるがじゃぞ。(前述の、『頭を下げるところからはじまる』といわれたこ とに通じると思う)
 そっでも、何があっても、縁のモンじゃ。(←いやいや、そう簡単には諦められぬ。)
 拡大解釈な部分も否めないが、信ずるものに対して真摯に、全力で取り組む事が出来る人たちを産み出す土壌、それが「五箇山」の「土徳」。
 一考察なので、あくまでも。

 ※1柳 宗悦(やなぎむねよし、1889年3月21日-1961年5月3日)は、民芸運動を起こした思想家、美術評論家。東京生まれ。海軍少将柳楢悦の三男。学習院を経て東京帝国大学卒業(専攻は宗教哲学)。生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民芸運動を起こした。バーナード・リーチとの交友も知られる。 1919年3月1日に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する日本政府の弾圧を批判。同時に、朝鮮美術(とりわけ陶磁器など)に注目し、当時殆ど省みられることのなかった朝鮮の陶磁器や古美術を蒐集する。1924年ソウルに朝鮮民族美術館を設立。朝鮮の文化にも深い理解を寄せ、京城(現・ソウル)において道路拡張のため李氏朝鮮時代の旧王宮である景福宮の光化門が取壊されそうになるとこれに反対する評論を書いた。これが大きな反響を呼び、光化門は移築、保存された。 木喰上人、妙好人の研究を行う。
 
 ※2バーナード・リーチ(Bernard Leach, 1887年 - 1979年)はイギリス人の陶芸家。日本に度々来日し、白樺派や民芸運動にも関わりが深い。日本民藝館設立にあたり柳宗悦に協力した。香港生まれ。ロンドン美術学校にエッチングの技法を学んだ後、留学中の高村光太郎と知り合い日本への憧れを抱き、1909年に版画家として来日し東京・上野に居を構えた。彼は生涯の友となる柳宗悦をはじめ白樺派の青年達と知り合いになり、イギリスで起こったウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動など西洋芸術についての議論を通して、手仕事の復権や日用品と美の問題などを語り合った。1972年まで制作を続け、視力を失っても陶芸について記述するのをやめなかった。1963年に大英帝国勲章(を受章。ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館は1977年に彼の大規模回顧展を開いた2年後逝去。リーチ・ポタリーは今なおセント・アイヴスに残り、リーチやその関係者たちの作品を展示する美術館を併設している。
 
 ※3文中に「太田のボンさま」と出させていただいたのは、太田浩史浄土真宗大谷派 大福寺の御住職(南砺市大窪)です

 

文章:@ゆっけ  2006.03

※写真はイメージです

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