◆越中五箇山物語◆vol.26

※文章は五箇山在住の方から頂いたものをエッセイ式に掲載しております

・・・春が、来るのかなあ

 家の男性軍は、「テッポモチ」(鉄砲持ち)。
 狩猟免許を持つ、「猟師(ハンター)」なのだ。
 五箇山では、春になり、熊が冬眠から覚める頃、残雪深い山奥へと、熊討ちへ行く。それはそれは昔から続く、春の行事。
 無事帰ってきて、猟果の顛末を聴いても、昔の自慢話を聴いていても、日本語を話しているのだけはわかるが、地名・専門用語・符丁がほとんどを占め、どこそこのタン(谷)のー、とか、ナントカのマタ、ミツモン、フタツモン、コロガイタ、何を話しているのかさっぱり理解できない。
 あるとき、春の陽気が一気に冷え込んだりすると、「どーじゃい、くまでもとりゃったかい」と、お年寄りに尋ねられる事もあり、聞けば、熊が獲れると山の神様が悲しんで冷え込みをもたらすのだそうで、言われてみると、熊が獲れると小雪がちらついたりする日もあって、人間の手の届かない何か不思議さを感じて「神の使い」と言われるだけの所以はある、と納得。
 熊を討つということ自体は儀式のようなものであるため、女の私には詳しい状況は良くわからない。
 このあたりで獲れるのは熊に限らず、猪やウサギ、ヤマドリや鴨など、種類もいろいろ。
 狩猟解禁期間中に行われる、年に一度の猟友会の事業「ウサギマキ」では、普段「ホワイトカラーでルーティンワーク」な御仁たち、建設会社や電力会社の面々も参加し、長靴にカンジキをはいてホーイホーイと山の頂き目指して野山のウサギをボい(追い)かける。
 雪に焼けた顔、獲物を捌く手つき、動き、酒を酌み交わす場面に「山の男」を見出したりするのだ。
 「残酷だ」、とか「かわいそう」とかいう声も確かにあるのだろう、でもこれは「文化」で、道楽で殺生をしているものではない。
 「ウサギとって来たよー」とか「猪見に行くかー」と子供と連れて行っても、(そんな横たわっているもの見せても遊べないし)と自身でツっコンだりしながらも、パックに入っているかいないか、捌くところから見るか見ないか、それくらいの違いでしかない、と私は思っている。
 みんながご苦労をしてとってきた分、あるいは息を止めた姿から見ている分、生きてゆく、食べてゆくということがまさに「命を頂く」ということなんだなあと思ったり、美味しいと感じたりする気持ちは、パックをかごに入れる手軽さにそれを見出す事は出来ないものであろう。
 ただ、動物園に行って、3歳の子供が折の中の動物を指差しながら、「こないだジイちゃんと、イノチチ、みたねー」とか「あのクマ、アカちゃんかなあー←(あなたも似たような者でしょうが)」なんて言ったりするものだから、「この人たち、何者?」なんていう視線を一瞬感じて冷や汗をかいたりする。

 熊は、エー(胆嚢)だけではなく、料理が全て「薬」のようなもので、とても珍重される。大体が、自生の木の実や山菜しか食べない熊である。これで美味しくないはずがあろうか。
 ここら巷でも、熊料理といえば春祭りの熊のアツモン(吸い物)が一般的なのだが、我が家は実に多彩。
 「モツ煮たがー、食べてー」→クセはなく、甘辛く炊いてあって、美味。
 「熊の脳味噌の味噌汁あるから、食べてー」→しっかりした白子みたいで、美味。
 「アバラ煮といたが、美味しいよー」→いわゆるスペアリブであるが、脂っこくなく美味。
 「熊飯炊いたから、持っていってー」→うちのばーちゃんしかつくれないよ、これは。超プレミアメニュー。
 「猪の肉もらったが、何か美味しーがにして」←私にどーしろっての。
 イタリアでは、フルーツとワインで煮込むそうだが。
 そういえば、欧州では「ジビエ」という野生動物の肉を使う料理があり、味噌や醤油、酒で味をつける五箇山版のそれか、と優越感に浸ったりもする。

 でも、こんな私でも、さすがにびっくりしたことも。
 帰ってきて、アルミ箔の包みが乗ったダルマストーブの上の物体を何気なく手に取り、「これ焼いもー?食べるよー」って訊きながら開いたそれは・・・(ええい、これも文化だ、言ってしまおう)
 「ウサギの頭」だったのだ(耳なし)。
 最初から合点しているのと、いないのとでは、違う。
 でも、そんな我が家の形態が、少数派(マイノリティ)であることには間違いないのだが、いかにも「山げ」で、楽しかったりするのだ。
 「下手なナントカ数撃ちゃ・・・」ではないのですぞ。
 みんなそれぞれの得意分野で、各々役割を果たしながら、生活しているのです。
 道なき雪の上を歩き、雪崩の巣のようなところまで1日を掛けてたどり着く。
 今ではある程度のところまで車で行けたりするが、それでも行くも帰るも命がけには間違いない。
 じいちゃんは、雪崩に巻き込まれて内臓破裂の重症を負って今なお、熊を追う鉄人だ。
 一時新聞紙上を賑わした熊出没問題・里山問題も、
 「ガクモンで何がわかる」と一蹴。
 「そんな年もある、熊が変わったがでない。人間が変わったがじゃろうが」
 その一言が、何回シンポジウム・フォーラムするより実に説得力がある、と思うのは私だけではないと思うが。

 雪が多くて、散々な今冬の五箇山であったが、
 ヨイトコジャゾー、アソビニゴザッサリ

文章:@ゆっけ  2006.2

※イメージ写真はありません。めいっぱいの想像力でお楽しみ下さい。

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