◆越中五箇山物語◆vol.19

※文章は五箇山在住の方から頂いたものをエッセイ式に掲載しております

チョットじまん。  

 閉村式の興奮も覚めやらぬ、毎晩子供と獅子の映像をみて「ドッコイドッコイ」とやっている私だが、ちょっと自慢したいことが。
 このコーナーでは、五箇山の自慢話を何度となく書いているため、またか、今度はなんじゃったヨ、と、食傷気味の方には申し訳ない。「天ぷら」のあとに「うな重」が出て、更にデザートには「おぜんざい」がつくコース料理のようなものか。
 何か、閉村式の規模ではない。もちろん、その時もらった「寿司折の数」でもない。
 実は、ご存知の方もあろうが、わが五箇山は、映画やドラマのロケ地として、実に数多くの作品に登場する。 
 先日も、そういう事を調べて記事にしたいと新聞の記者さんが訪れていた。
 それに対応しているうちに、私としてもとっても興味がわいて、自分なりにまとめてみようと思った次第である。
 ということで、その結果を一部ご報告したい。
 
 @「執炎」(しゅうえん)昭和39年公開・日活 浅丘ルリ子主演 伊丹十三デビュー作 
 芥川賞候補にも選ばれた加茂菖子の小説「詩と真実」を原作とし、「暗殺」の山田信夫が脚色「黒い太陽」の蔵原惟繕が監督した。 (あらすじ:日本海の波が打ち寄せる山陰の浜辺で、一人の女が命を断った。種々にとりざたされた噂も、今では人々がその青春を讃え、美しい供養をいとなんでいる。拓治と“きよの”が初めて会ったのは、きよのが十三の時。戦争や幾多の時代背景による困難を乗り越えても、儚い人生、女の強さそして哀しさを描いた秀作である。)
 浅丘ルリ子演ずる主人公“きよの”が平家落人末裔の娘という設定のこの映画のロケ地として選ばれたのは、五箇山の「菅沼合掌造り集落」と「重文岩瀬家」。 昭和39年10月中旬に浅丘ルリ子を初め芦川いずみなど50名が約10日間上平村に 滞在したそうで、上平村広報(←サインのコピーなんかも印刷されてる!!)のバックナンバーから発見したものである。

 A「砂の器」(すな の うつわ)・昭和49年公開・松竹 丹波哲郎 加藤 剛 主演 ↑Sマッp・N居君のリメイク版じゃないよ!!)
 迷官入りと思われた殺人事件を捜査する二人の刑事の執念と、暗い過去を背負う為に殺人を犯してしまう天才音楽家の宿命を描くサスペンス映画。原作は松本清張の同名小説。   (脚本は「日本沈没」の橋本忍と「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」の山田洋次、監督は「東京ド真ン中」の野村芳太郎、撮影も同作の川又昂がそれぞれ担当) 映画ももちろん、最近のリメイクドラマを見た方も多いであろう。言うまでもなく「名作」である。
 劇中では石川県江沼郡大滝村(←これは架空の地名)が主人公の出身地という設定であったが、実際の撮影場所として使われたのは、いまや世界遺産として登録されている、相倉合掌造り集落。 刑事が聞き込みをしている民宿のセド越しに、今も変わらずに集落を見守る相念寺が見える。 どの場所なのか教えてくださーいと、記者氏が持参したレンタルビデオ、一緒にその場面を見た私は、思わず歓声をあげてしまった。 知人がテレビに出ているのを見る感覚とよく似て、なぜかちょっと照れくさい。
 下梨の旅館には、滞在した俳優たちによるサイン色紙があるそうだ。 女将によると、丹波さんはとっても気さくでニコニコとした方だったそうで、当時3歳の娘の頭を撫でながら、「お母さんにそっくりなイイ子だね」と、声をかけてくれたとか。 また、加藤さんはとっても生真面目な方で、劇中に使うお遍路の白衣を「どうにかしてよごしてほしい」と頼まれた、というエピソードも興味深い。

 この他にも、薬師丸ひろ子初出演・高倉健主演の「野生の証明」(‘78公開 角川春樹事務所)では、平村の民家が使われ、当時保育所に通っていた子供から、お年寄りまで10数人の住民たちがエキストラとして参加したそう。   「薬師丸ひろ子が隠れていた小屋」という設定に使われた納屋から、刑事が聞き込みをした民家、道路こそちゃんと舗装されたが当時のまま今も使われている。 「ハナ肇のサインとかもあるよー」って、ロケがあった当時小学生だったその家の娘さんが全く自然に話してくれた。  
 これらの事を調べて訊いたりしている横から母が、 「おいおい、『三浦友和』も相倉に来たがいぞ。おらち(私達)保育所の子らち(達)連れて見に行ったぜや―、花嫁姿の百恵ちゃんは、誰やったか、代役の子やったけどなー(笑)」 なんてことも。大スターカップルとして一世を風靡していた、2人の出る作品はどれもこれも大当たり、人気は私が言わずともある年代から上の方はご承知のことであろう。 ほいじゃあ、おかあさん、その映画の題名は・・・?
 「なんじゃったいなぁ・・・。」
 残念ながら失念したらしい。まったく、忘れないでよね、つい25年程前の事をっっ。 だれか、教えてくださーい・・・っていうか、調べます・・・。

 追記:
 実は私も、小学校1年生の時に、とある大手生保のコマーシャルに出た事がある。
 相倉の村道で「笑顔で走れ」って、言われたり、旧分校舎で「山の学校」の朝礼を再現したり。その時の校長先生役は、村の教育長氏だった。通称、イナンダのトウチャン。 “ニッ〇ィのおばちゃん今日もまたー、笑顔ぉをはこーぶ ふーるさとよっ♪” って、自転車にのって全国に笑顔をばらまく生保のおばちゃんは、実は自転車に乗れずに補助輪をつけていた。 そんな「へぇ」みたいなことはともかくとして、
 「誰が誘致していたのかな?」っていうのが、今の正直な気持ちである。
 ちなみに、今回このコーナーは、goo!映画の助けを頂きました

文章:@ゆっけ    2004.10 

※写真はイメージです

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