◆越中五箇山物語◆vol.8

※文章は五箇山在住の方から頂いたものをエッセイ式に掲載しております

人形山へ行こう!

Climb Mt.Ningyouzan

 泰澄大師によって開かれ、白山信仰の修験の場として多くの信仰を集め、また、哀しい伝説を秘めた、五箇山の代表的名峰、人形山。
 標高1726mとさほどの高さではないのだが、これがなかなか、素晴らしい自然と眺望を楽しめる山である。 人形山
 山開きは毎年6月。
 小学生の頃ではあるが、数回登山を経験したことがある。
 小学校1年生のときのこと。朝起こされて、日曜日にもかかわらず体操服を着ろといわれ、 ワケのわからないうちにマイクロバスに載せられ着いたのが中根登山口。
 そこで終りかとおもったら、人の後をついて登れと言う。
 そこでも充分高いところなのに、なんでえー、とぶーぶーいう私に、父はただ歩け、という。
 「このあたりの木がないのは、昔ここでじいちゃん達が炭を焼いていたからなんだぞ」
 「この木は、人形山にしかないツツジなんだぞ」
 などと、時おり呪文のように私に話しかける父のそれに応える余裕も気分もまるでなく、歩けども歩けども、急な上り坂、泥道、あるいは雪道と、まるで泣きたくなってくる、というか泣きながら登った。
 いやや帰るーこんなとこー
 と、言ってる間に疲れるから、もういいぞ、と言われるまでは歩こうと思って、歩いて着いたところで、みんなが腰をおろして休んでいる。やったーっ、頂上だーお弁当だーっと、思った。 「宮屋敷」のトリイ
 ところが、そこは「宮屋敷」という、頂上までの通過地点にしか過ぎなかった。
 小学校のお兄さんお姉さんが、次々と先を目指して歩いてゆく。
 さ、行くぞ、と腰を上げた父の後をついてゆくのが普通なのであろうが、私はついぞ其処から動かなかったのである。
 そのとき撮った写真には、かなりふくれた、ニコリともしない私が写っている。
 そこで約2時間、頂上から下山する一行を待って、何をするでもなく、はぐれた小熊のように、うろうろと木に登って落ちてみたり、草をむしってみたり、お決まりのヤッホーを決めてみたりしたのであった。
 次の年からは一応頂上まで登りはしたが、雪道を歩く足が冷たくてまた泣いてみたり、ひざが笑って泣きそうになったり。「もう絶対登らんぞ」と思わせるヒドイ筋肉痛に悩まされる私であった。
 いまではきっと宮屋敷までも行けないだろうが、それでもまた登ってみたい、毎年6月の山開きの時期になると、父のつぶやきや、木に登った事などを思い出す私である。 山頂で記念写真
 
 人形山の山開きは、毎年6月第1日曜日である。

文章:@ゆっけ

※写真はイメージです

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