◆越中五箇山物語◆vol.6

※文章は五箇山在住の方から頂いたものをエッセイ式に掲載しております

「佐藤桜」の事

 「佐藤良二」さんを御存知だろうか。
 かつて、五箇山地域を含む名古屋市と金沢市の間は、通称「名金線」といわれた国鉄のバスが公共の足となっていた。
 このバスの車掌を昭和30年代から40年代にかけてお勤めになったのが、佐藤さん、その人である。
 この方の夢、それは、太平洋と日本海を結ぶ道を「さくら」でつなごうというそれは壮大なものであった。
 始まりはこうだ。
 名金線沿線上にあった、かつて、上白川郷といわれた荘川村、中野地区。
 この地域は、前述の庄川電源開発のなかで、最大の事業「御母衣ダム」工事により、水没する運命にあった。 「荘川桜」写真提供 まーくん
 ―せめて、村のシンボルである樹齢400年といわれるアズマヒガンサクラの大木2本は、ダムの湖畔に残したい―。
 そんな働きかけにより、荘川桜は移植されることになり、大きさと、作業の難しさから(昔から桜切る何とか、梅切らぬ―といことわざがあるように、桜は切ったところから枯れやすい大変デリケートな植物なのです)失敗も予想する声が多い中、それらの事業は見事に成功した。
 その様子を始終、バスの車窓や、乗客らの話しぶりから眺めていたのが、佐藤さんであった。
 サクラの強い生命力、住民らの切ない思いに胸を打たれた彼は、一大決心をする。
 それが、この道、太平洋と日本海をサクラでつなぐ、という夢の実現である。  
 最初から多難の連続であった。
 活動は全くの自費である。サクラの苗木を買い求め、休日を利用して道端の地主1人ひとりに理解を求め、地道に一本また一本と手作業で植え続けた。
 せっかく植えても、世界有数の豪雪地帯、雪に折れ、あるいは除雪車に無残に踏み倒された。
 それでも、時間を惜しんで植え続けた、その数約2000本。
 そして彼を病魔が襲う。
 下された診断は、胃がん。
 家族の願いも届かず、二度と帰らぬ人となったのが、昭和52年のことであった。 「村上家」横 春を待つ桜の木
 意志を引き継いだのは同僚氏と、彼の姉。
 実は、彼が植えたサクラの一部が、五箇山にもある。菅沼の民俗館、上梨の村上家横。
 今の季節は春。
 やがて見事な花を咲かせてくれるはずである。
 現代版花咲か爺さん、佐藤さんの夭折が今も惜しまれてならない。  
 望むらくは、より多くの人がこの桜を愛でてくれることであろう。

この地球の上に、
天の川のような
美しい花の星座を作りたい
   
花を見るこころが
ひとつになって
みなが仲良く暮らせるように
              (荘川村HPより)

 佐藤良二さんによる詩である。

文章:@ゆっけ

※写真はイメージです

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